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2018/11/15

vol.10「教育者にとって一番大事なこと−“ありのまま”に観ること–」

Tweet ThisSend to Facebook | by 事務局(天野)

教育者にとって一番大事なこと
−“ありのまま”に観ること–


教育実践研究科 教授 三田地真実



教育実践、あるいは教育実践研究を行うにあたって、教師にとって、
あるいは研究者として身につけておくべき大事なことは何だろうと
このコラムを書くにあたっていろいろ考えていました。
さまざまな先人が提唱している理論について学んだり、優れた実践をされている
先生の授業を見たり、そういう先生に話を聞いたりと教育者になるための
トレーニングとして大事なことはたくさんあるでしょう。


 
 
そのような中で何か一つ選べと言われたならば、私は迷わず、
「ありのままその子の行動を観ることができる力」と答えたいと思います。
「ありのままに観る?そんな簡単なこと?」と思われたでしょうか。
それとも、「ちょっと前に流行ったディズニーの映画のキャッチフレーズ」を
思い出されたでしょうか。

  「ありのまま子どもを受け止めましょう」「子どもの気持ちに寄り添いましょう」

という言葉は教育界でもよく聞かれています。
しかし、私たちは「本当にありのままの子どもの行動が見えている」でのしょうか。


 
 
ここで、児童生徒の問題行動で困っている先生方(あるいは保護者)の訴えで
よく聞かれる表現をいくつか挙げてみます。

  

1:「A君は、担任の私の言うことを全然きかず、反抗的な態度をとるんです」

 

2:「B子ちゃんは、掃除の時間にサボってばかりいて困ってるんですよね」

 

3:「C美ちゃんは、自己肯定感が低いので何とかしなければって思っています」

 

4:「D夫君は、発達障がいがあるから問題行動を起こしているのではないでしょうか」

 

  いかがでしょうか。一度や二度は皆さんも耳にしたことがある表現では
ないでしょうか。実はこのような表現は全て、「ありのままの子どもの行動」を
客観的に記述したものではなく、見る側の人間の主観がかなり入り込んだ
ものなのです。

 

  「え? こういう表現が主観的なの?」と思われたとしたら、ご自身も無意識のうちに
自分の主観が入り込んだ表現をしているかもしれません。それでは、それぞれの例の
どこが主観的な表現かおわかりになるでしょうか。一つずつ見ていきたいと思います。

 

■例1:「A君は、担任の私の言うことを全然きかず、反抗的な態度をとるんです」

 

この例中の「全然言うことをきかない」「反抗的な態度」という部分が話している
大人の主観が入っている部分です。「全然」とはどの程度の頻度なのでしょうか。
すべての指示に対してでしょうか。それとも8割程度なのでしょうか。
この表現ではあたかも100%指示に従わないと受け取れてしまいますが、この真偽は
先生の指示○回に対して、○回その通りに行動しなかったという事実を観察しないと
わかりません。さらに「反抗的な態度」とは具体的にはどのような行動をとっている
のでしょうか。実際に先生の指示通りに行動することができるのにわざと
行わないのか、実は先生の指示の通りに行動するスキルがない、あるいは先生の指示
そのものが聞き取れていなかったなど、いくつもの可能性が考えられますね。

「反抗的」という表現ではこのような可能性のどれであるかは明確にならず、
むしろ教師の側の感情(自分の言うことを聞くべきなのに、聞かないのは反抗的だ)
が反映された表現になっていることがおわかりいただけるかと思います

 

■例2:「B子ちゃんは、掃除の時間にサボってばかりいて困ってるんですよね」

 

 こちらの例も困っている児童生徒の話ではよく聞かれる表現です。
「サボっている」という表現は実は行動を表してはいません。先生の側の期待
している望ましい行動を行なっていない状態を指して「サボっている」と解釈して
いるのです。サボっていると言われている生徒は、そのとき「何をしている」ので
しょうか。指導に結びつけるときに大事になってくるのは、むしろそちらなのです。

実際にこのように解釈していた先生が、改めて生徒の様子をよく観察したところ、
その子は手先が不器用で掃除を行うことそのものに苦手意識があり、それを「避ける」
ために友達とふざけたりしていたことがわかりました。
先生は、まずその子にできる掃除行動を丁寧に教えるところから始め、
最後には他の生徒が掃除中にふざけていても、自分の役割をしっかりこなせる
ようになったそうです。


 
もしこの生徒さんに「サボっちゃだめ」とばかり声をかけていたら、
このような結果は見られなかったでしょう。
丁寧に実際に起きていることを観察することで、指導のヒントが得られたのです。

 

3:「C美ちゃんは、自己肯定感が低いので何とかしなければって思っています」

 

 この「自己肯定感」という言葉も最近、先生方が使っていらっしゃるのをよく耳に
します。しかし、自己肯定感が低いというのは、なぜそうわかるのでしょうか。
例えば、授業中に手を挙げない、休み時間に一人でポツンと淋しそうにしている、
表情が暗い、などの様子が見られるからでしょうか。「自己肯定感が低い」と
称されるためには、その根拠となる何らかのその児童生徒の具体的な振る舞い
(表情などを含む)を先生方観察しているからではないでしょうか。
さらに「自己肯定感をあげる」にはどうしたら良いのでしょうか。その生徒が自分で
努力して「えーいや!」と上げられるものでしょうか。
翻って、私たち大人であっても自己肯定感が上がったり、下がったりすることが
ありますが、それはどんなときでしょうか。
自分の行ったことが周りから認められたら、自己肯定感は上がるでしょう。
逆に非難されたり、否定されたりすれば、下がるでしょう。
自分で鼓舞してあげることはかなり難しいことがわかります。
「頑張って、自己肯定感を上げなさい!」と言うのではなく、その子ができる
何かを行なってそのときに周囲がどのように反応したか(するか)ということを
具体的に考えていくことが、その子の「自己肯定感が上がった」と称される行動が
起きることにつながる訳です。

 

4:「D夫君は、発達障がいがあるから問題行動を起こしているのではないでしょうか」

 

最後の例は、特別支援教育が現場に浸透するに従って聞かれるようになった
表現です。問題行動の理由として「発達障がい」を挙げている訳ですが、
もしこの理由づけが真であるとしたならば、どうしなければこのD夫くんの
問題行動はなくならないということになるでしょうか。
そこには「障がいがなくならなければ、なくならない」という意味が含意されて
いるのです。

このように考えてくると、「発達障がいがあるから」「自閉症があるから」という
障がいを行動の理由づけにすることは、ある意味指導を放棄しているとも
取られかねない表現であることがすぐにわかります。
これまでの多くの研究によって重度の自閉症のある人の問題行動がきちんと
その行動がどうして起こっているのかを「しっかり観察する」ことによって分析し、
論理立ててアプローチすることで減少していくということが示されています。

 

このように整理してくると、子どもたちの行動を記述するときだけではなく、
日常的な会話の中でも私たちはかなりの部分、根拠が不明確なまま自分の主観的な
表現を使って描写していることがわかります。

 

特に最後の「問題行動」に対応するときには、なおさらこのような主観的な行動の
理由づけでは問題は解決しないどころか、十分な指導に結びつかないリスクすら
あります。子どもたちの行動をしっかり客観的に観察すること、このことが
教育者としての資質の基本の中の基本ではないかということが、以上のような
ごくごく身近な例を丁寧に見直すことでもおわかりいただけたのではないかと思います。

 

さらに、このような子どもたちの行動のなぜ?を解き明かし、論理的に指導を
考える手立ての礎となる理論が、「行動分析学」という心理学の一分野として
確立しています。問題行動のみならず、教科教育にもこの学問が明らかにしてきた、
様々な行動の原理がきっと教師としての日々の実践に役立つと思います。
(その授業が本研究科で開講されています。)

 

まずは子どもの行動をありのままに観ること、そこからしっかり始めてみませんか。

 

参考文献;「子どもの視点でポジティブに考える問題行動解決支援ハンドブック」(金剛出版)


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