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2017/09/25

コラム「教育実践」vol.2「自分の実践をふり返る場所と時間」

Tweet ThisSend to Facebook | by 事務局(天野)

自分の実践をふり返る場所と時間
        ―大学院での学びの勧め―

教育実践研究科教授 三輪 建二

 

  星槎大学大学院教育実践研究科では、「専門職者としての職能開発」と「生涯学習特論」という授業を持っています。また、学生一人ひとりが探究する課題について、学生と教員でじっくり考え合う「プロジェクト研究」に、教員の一人としてかかわっています。
 私の専門は生涯学習論、成人教育学で、とくに専門職の「省察」「ふり返り」に関心をもっていますので、天職としての生きがいを感じながら授業に取り組んでいます。私の翻訳作業のなかには、D・ショーン『省察的実践とは何か』(鳳書房、2007年)もあります。私の教育観・授業観のようなものを織り込みながら、教育実践研究科について紹介してみましょう。
 
 大学院という言葉には、現場の課題を「学問的」「理論的」「科学的」に考察するというイメージがあります。もちろんそれで間違いではないのですが、私はそこに、「実践知」を「ふり返る(省察する)」ということをぜひ組み入れたいと考えています。
 実践知とは、教師として、あるいは看護師や事務職などの対人援助専門職として、生徒・学生、保護者、志願者や患者に向き合い、その都度臨機応変に対応するときに、知らず知らずのうちに用いている知識のことで、経験知とも暗黙知とも言われています。
 教師も看護師も事務職員も、「実践知のプロである」ということができます。仕事上のクレームや多忙感のなかで、あるいは自己肯定感が低くなっていることがあるかもしれませんが、「自分は実践知のプロである」ということだけは、大いに自信を持ってほしいと思います。
 
 大学院での学びでは、実践知は敬遠されるものではけっしてなく、むしろ実践知を出発点とすることが大事になります。私の授業ではそのためか、「私の教員経験では……」「私が患者と向き合った経験では……」「入学志願者に面談したときは……」といった発言が飛び交います。経験と実践知をしてのそれぞれの違いだけでなく、共通点を確認しあうのです。そこでは、教師と学生という関係は見えなくなり、学生同士が教師になり、同時に学び手になるという瞬間が生まれます。
 
 そのような話し合いが、私が司会進行をしないまま、何十分か続くこともあります。経験や実践知を学習教材とすることから出発し、そこから、実践知の「ふり返り(省察)」が開始されます。「あのような経験の意味はいったい何だったのだろうか」「自分が授業中のA君の発言を受けてとっさに対応したあの行為は、自分にとってどのような意味があったのだろうか……」「教科書にあった『教員研修』をめぐる見解は、自分の経験した研修にもそのまま当てはめられるだろうか、あてはまらないとしたら、どこが違うのだろうか……。大学院の授業は経験や実践知に接続していますが、同時に自分の職場とは時間的にも空間的にも距離があります。また違う職場や職種の学生たちばかりです。自分の経験や実践知のふり返り(省察)を通して、経験や実践知の相対化をはかるという作業がおこなわれるのです。経験や実践知の相対化の作業には、授業中のやりとりに加えて、授業後の宿題として「ふり返りシート」を記載し、それらのシートをお互いに読み合うこと(シートはグーグルドライブで情報共有しています)もあります。さらには、テキストの確認を通して、学問や学術的な概念による裏付け作業も含まれます。 自分の経験や実践知を思いっきり語りながら、そこにふり返り(省察)が入ることで、経験や実践知が言葉になり、ほかの参加者にも理解できるものとなり、学問的な概念に裏付けられたものにもなっていく。「省察の言語化」を展開することは、とても有意義な、現職者の学び、学び合いではないかと思っています。
 何か思いっきり語りたい人の参加を希望しますし、入試広報の委員もしていますので、入学のご相談にも応じたいと考えています。


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