教師のあるべき姿教育実践研究科 准教授 岩澤一美私は発達障害の子どもの指導・支援を専門としていますが、発達障害と切っても 5月ごろから進学した高校の雰囲気になじめずに不登校になってしまった 入院中は主治医の先生と馬が合わないらしく、毎日のようにメールが来ていました。 こうしたケースでは退院後も経過を観察するために継続看護を担当する看護師さんがつきます。 この話を聞いたときに、私はハッとしました。管理職をしているときに教員希望の方の面接で
教育のユニバーサルデザインを実践する教育実践研究科 准教授 阿部利彦文部科学省による調査(2012年)によると、全国の公立小中学校の通常学級に 在籍する児童生徒のうち発達障害の可能性のある小中学生は6.5%に上ると 言われています。つまり、通常の学級(40人学級)で1クラスにつき2、3人の 割合ということになりますが、さらに問題になるのは、そのうちの4割弱の 児童生徒は特別な支援を受けていない状況であるということです。 そんな中で、発達障害のある・なしに関わらず、より多くの子どもが学びやすい 教育のデザインを目指していく「教育のユニバーサルデザイン」に着目する 現場の先生が増えてきています。 さまざまな学校を訪問させていただいていますが、教育のユニバーサルデザイン というと「教室の刺激を減らす」といった教室の物理的環境の整備のことだと 捉えておられる先生方や、通常学級ではなく特別支援学級や特別支援学校で 行うものだと考えておられる先生方が多いようです。 私は、教育のユニバーサルデザインを ①教室環境のユニバーサルデザイン、 ②授業のユニバーサルデザイン、 ③人的環境(学級経営)のユニバーサルデザイン の3つの柱で構成されていると考えます。 そしてその中でも特に「授業のユニバーサルデザイン」に焦点をあてた実践について 教育実践研究科に在籍している現場の先生方と研究しているところです。 授業のユニバーサルデザインについても、小学校での展開が中心というイメージが 強いのですが、教育実践研究科では中学校の先生が英語授業のユニバーサルデザイン化 に向けて様々な工夫を検討しています。英語に苦手意識を持っている生徒をどう ひきつけるか、授業の冒頭、題材との出会わせ方をどう工夫して英語の世界に橋を かけていく(方向づける)のか、本時の学びを生徒たちが「自分ごと」にできるよう にどうむすびつけるか。マインドマップなども取り入れ、思考の見える化を図りながら 実践しておられます。 実は教育実践研究科では専門学校の先生方も多く学んでいます。 私は、専門学校の先生方は「教育のユニバーサルデザイン」にあまり興味を 持たないのではないか、と誤解していたのですが、 「私たちがやってきた工夫はまさに教育のユニバーサルデザインにつながります」 と院生の皆さんから言っていただき、かえって勇気づけられました。 製菓専門学校の先生から「教育のユニバーサルデザイン」を実践したい、という お話があった時にもワクワクしました。 私は、料理本やテレビの料理番組などのイメージから 「見本を提示する」(視覚化)、 「ポイントを明確にする」(焦点化)、 「失敗しないためのコツを共有する」(共有化) ことが「お菓子づくり」だと思い込んでいたのですが、 実際には製菓指導の現場ではそれらのことがあまりなされていないということを 知りました。 そこで、さっそく視覚化、焦点化、共有化を意識した指導を取り入れたところ、 要支援の学生だけでなく、まわりの学生からも「わかりやすい」「家でも練習できる」 「次にいかしたい」という多くの声を引き出すことができました。 また、教育のユニバーサルデザイン化は授業のレベルを下げる、という誤解も いまだにあります。 しかし、配慮を要する生徒学生にとって学びやすくわかりやすい授業を 工夫・実践することは周りの生徒学生にとっても学びなおしになり、より多くの 生徒学生の達成感につながるという手ごたえを感じています。 そして、それぞれの先生が「英語が好き」「お菓子づくりが好き」であり、 先生方が学生時代に感じた「英語の魅力」や「お菓子作りの楽しさ」を授業の ユニバーサルデザイン化を通じて生徒学生たちに伝えることができた、という ことでしょう。 先生方が担当されている教科や分野の魅力を次世代に伝えていくための工夫が、 授業のユニバーサルデザイン化だと言えるのかも知れません。
理論とエビデンスに基づいたより良い教育実践を目指す楽しさみなさんはご自身の教育実践についてお話したり,他の方の教育実践について話しを聞くことが楽しいと思った経験があるのではないでしょうか?このコラムでは私が考える教育実践研究の面白さについて書いてみます. |
14:00 |
2017/11/25 | コラム「教育実践」vol.4「市民の課題としてのComputational Thinking」 | ![]() ![]() |
---|
09:00 | コラム「教育実践」 |
2017/10/25 | コラム「教育実践」vol.3「実践」と「理論」の回路 | ![]() ![]() |
---|
12:33 | コラム「教育実践」 |
2017/09/25 | コラム「教育実践」vol.2「自分の実践をふり返る場所と時間」 | ![]() ![]() |
---|
星槎大学大学院教育実践研究科では、「専門職者としての職能開発」と「生涯学習特論」という授業を持っています。また、学生一人ひとりが探究する課題について、学生と教員でじっくり考え合う「プロジェクト研究」に、教員の一人としてかかわっています。
私の専門は生涯学習論、成人教育学で、とくに専門職の「省察」「ふり返り」に関心をもっていますので、天職としての生きがいを感じながら授業に取り組んでいます。私の翻訳作業のなかには、D・ショーン『省察的実践とは何か』(鳳書房、2007年)もあります。私の教育観・授業観のようなものを織り込みながら、教育実践研究科について紹介してみましょう。
大学院という言葉には、現場の課題を「学問的」「理論的」「科学的」に考察するというイメージがあります。もちろんそれで間違いではないのですが、私はそこに、「実践知」を「ふり返る(省察する)」ということをぜひ組み入れたいと考えています。
実践知とは、教師として、あるいは看護師や事務職などの対人援助専門職として、生徒・学生、保護者、志願者や患者に向き合い、その都度臨機応変に対応するときに、知らず知らずのうちに用いている知識のことで、経験知とも暗黙知とも言われています。
教師も看護師も事務職員も、「実践知のプロである」ということができます。仕事上のクレームや多忙感のなかで、あるいは自己肯定感が低くなっていることがあるかもしれませんが、「自分は実践知のプロである」ということだけは、大いに自信を持ってほしいと思います。
大学院での学びでは、実践知は敬遠されるものではけっしてなく、むしろ実践知を出発点とすることが大事になります。私の授業ではそのためか、「私の教員経験では……」「私が患者と向き合った経験では……」「入学志願者に面談したときは……」といった発言が飛び交います。経験と実践知をしてのそれぞれの違いだけでなく、共通点を確認しあうのです。そこでは、教師と学生という関係は見えなくなり、学生同士が教師になり、同時に学び手になるという瞬間が生まれます。
そのような話し合いが、私が司会進行をしないまま、何十分か続くこともあります。経験や実践知を学習教材とすることから出発し、そこから、実践知の「ふり返り(省察)」が開始されます。「あのような経験の意味はいったい何だったのだろうか」「自分が授業中のA君の発言を受けてとっさに対応したあの行為は、自分にとってどのような意味があったのだろうか……」「教科書にあった『教員研修』をめぐる見解は、自分の経験した研修にもそのまま当てはめられるだろうか、あてはまらないとしたら、どこが違うのだろうか……。大学院の授業は経験や実践知に接続していますが、同時に自分の職場とは時間的にも空間的にも距離があります。また違う職場や職種の学生たちばかりです。自分の経験や実践知のふり返り(省察)を通して、経験や実践知の相対化をはかるという作業がおこなわれるのです。経験や実践知の相対化の作業には、授業中のやりとりに加えて、授業後の宿題として「ふり返りシート」を記載し、それらのシートをお互いに読み合うこと(シートはグーグルドライブで情報共有しています)もあります。さらには、テキストの確認を通して、学問や学術的な概念による裏付け作業も含まれます。 自分の経験や実践知を思いっきり語りながら、そこにふり返り(省察)が入ることで、経験や実践知が言葉になり、ほかの参加者にも理解できるものとなり、学問的な概念に裏付けられたものにもなっていく。「省察の言語化」を展開することは、とても有意義な、現職者の学び、学び合いではないかと思っています。
何か思いっきり語りたい人の参加を希望しますし、入試広報の委員もしていますので、入学のご相談にも応じたいと考えています。
10:00 | コラム「教育実践」 |
12次![]() |