ーー星槎ジャーナルとはーー
 星槎ジャーナルでは、世の中の出来事や入り組んだ国際問題、複雑な人間模様など政治、経済、社会、教育、文化、科学、環境、スポーツなど森羅万象をテーマに、星槎の理念やジャーナリズムの視点から解きほぐし広く発信していきます。


ーー「星槎ジャーナル」のスタートについてーー
 このたび、大学大学院のホームページに「ジャーナル」を立ち上げ、スタートさせていただくことになりました。
 世の中の出来事や入り組んだ国際問題、複雑な人間模様など政治、経済、社会、教育、文化、科学、環境、スポーツなど森羅万象をテーマにの理念やジャーナリズムの視点から解きほぐし、学内外に発信していこうという試みです。

 過日、「ジャーナル編集委員会」(編集長佐々木)の第1回会合を開催し、取りあえず走り出すことにしました。走りながら考えるのか、という叱責をいただきそうですが、グループの広報の一助になればとも思っております。
 ジャーナル第1号は「わが身を見つめ直す時に転換しようコロナ禍、デマに惑わされるな」(佐々木執筆)を掲載しました。ちょっと長めですが、コロナ禍の中で、デマやフェイクニュースにどう対応したらいいのか、というのがテーマです。
 星槎グループ教職員の投稿を歓迎します。掲載に当たっては編集委員会の内規に従って決めさせていただきます。また編集委員会から執筆をお願いすることもあろうかと思いますので、前向きにご検討ください。

 「ジャーナル」に掲載する原稿につきましては、テーマを問いませんが、結果として、内容がの3つの約束などの理念につながったり、想起させたりするものであれば、一層歓迎したく思います。ジャンルはシリアスなものでも、エッセイでも、国際交流記や旅行ルポでもなんでもござれです。楽しく、ためになり、タイムリーという3つの「T」が原稿の1つの目安です。

 原稿の長さは400字詰め原稿用紙換算で1枚から10枚程度までと考えていますが、厳格には規定しておりません。掲載の頻度については不定期としてスタートします。

ジャーナル編集長 佐々木 伸
 

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星槎ジャーナル[根記事一覧]
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事務局(小林)2021/07/27 08:46:13

どうなる教員免許更新制2-どんな改正が考えられるか-

2021年7月20日/執筆者:松本 幸広(星槎大学 事務局)

 今回はまず、新聞報道を斜めに見るところから始めてみたい。
 7/6の定例記者会見で前日7/5実施の教員免許更新制小委員会の件に関する質問に、文科大臣が答えた。その映像も、回答のテキストも前回紹介しているので確認された方も多いかと思う。
 そしてその後の取材が、7/10に記事(毎日新聞)になったし、それを受けて取材した記者(共同通信等)もいる。

◆文部科学省は、教員免許に10年の有効期限を設け、更新の際に講習の受講を義務づける「教員免許更新制」を廃止する方針を固めた。政府関係者への取材で判明した。今夏にも廃止案を中央教育審議会に示し、来年の通常国会で廃止に必要な法改正を目指す。(7/10 毎日新聞)
◆文部科学省が、教員免許に10年の期限を設ける教員免許更新制を廃止する方向で検討していることが10日、関係者への取材で分かった。早ければ来年の通常国会での教育職員免許法改正案提出を目指すが、与党の一部に存続を求める意見があることから曲折も予想される。(7/10 共同通信)
◆政府は、幼稚園や小中高校などの教員免許を10年ごとに更新する教員免許更新制を廃止する方針を固めた。更新制は教員にとって手間がかかる割に、資質向上の効果が低いと判断した。免許を無期限とする代わりに、教育委員会による研修を充実・強化させる。文部科学省が8月中に中央教育審議会(文科相の諮問機関)に方針を示し、来年の通常国会に関連法改正案を提出する考えだ。(7/11 読売新聞)
◆教員免許に10年の期限を設け、更新前に講習を受けないと失効する「教員免許更新制」について、文部科学省が廃止する方向で検討していることが、政府関係者への取材で分かった。(7/12 朝日新聞)
◆東京新聞とサンケイ新聞などは、共同通信配信の記事を転載

 どうやら、意図されたリークであることは、その後の大学からの記事に関する問い合わせ(7/11)の文科省の素早い以下の回答を見ると明らかだ。(7/12)

◆教員免許更新制については現在中央教育審議会にて抜本的な検討を進めているところであり、現時ではまだ方向性を打ち出すには至っておりません。
文部科学省としましては、中央教育審議会での議論を踏まえ、制度の見直しに関する検討を速やかに着手してまいりますが、現現段階で教員免許更新制の廃止を固めたという事実はありません。

 よくあることではあるが、「嘘」を言ってはいけませんと言いたいところだ。だれが嘘を言っているのかと問いたくもなる。それも2回もだ。
 しかしながら、この辺り言葉というのは面白いもので、「廃止する方針を固めた」「廃止する方向で検討している」は「廃止を固めた」とイコールではない。つまり、どんな結論になろうとも「嘘はいってない」という実に見事な日本語だ。新聞も嘘は言っていない、文科省も嘘は言っていない。感心する。

 7/13の大臣の定例会見では、当然質問が出た。これも予定通りだろう。7/10の記事を取材した幹事社の毎日新聞大久保氏は進行係なので、もう一人取材で情報を得たであろう共同通信の記者が質問した。
「更新制廃止が固まったと報道されたが、大臣のお考えは?」
 大臣の回答主旨「報道は承知しているが、文科省が更新講習の廃止を固めたという事実はない。研修は重要であり、その点も含めて中教審にご議論をお願いしている。私の結論的思いを申し上げるのは控えたいし、答申を待って方向性を決めたい。」

 質問した記者は言いたかったに違いない。
 「大臣は、廃止する腹積もりだ。法改正は通常国会って考えてるよ」っておたくの部下言ったよね。
 記事にしてくれてありがとう。それをリークというのです。さて、意図はどこでしょうか。大臣は更新講習廃止を本気で考えているというアピールか。教育を語らない政治家はアウトですから。選挙も10月にはありますので。そういえば、大臣も副大臣も、大臣政務官もみんな衆議院議員ですね。

 ただし、これら報道の中で事実誤認もある。こちらからすれば、しっかり学んで記事を書きなさいということだ。今回指摘させていただくのは朝日新聞の記事だ。

◆更新制は「不適格教員の排除」を目的に自民党などが導入を求め、「教員の資質確保」に目的を変えて09年度に始まった。無期限だった幼稚園や小中高校などの教員免許に10年の期限を設け、期限が切れる前の2年間で計30時間以上、大学などでの講習を受けなければ失効するしくみだ。
 ただ、夏休みなどに自費で受ける講習は多忙化する教員に不評で、文科省が今月5日に公表した調査では、約6割が講習に不満を抱いていた。(7/12 朝日新聞)

 下線を二つ付けたが、前回のコラムでも指摘したことであるが、一つ目の下線のようなことを書いたら当時の中教審教員養成部会のメンバーは、かなりのご立腹だと思います(そのメンバーを存じ上げていますので絵が浮かびます)。まるで、中教審が自民党の言いなりのような書き方だ。二つ目の下線の事項はおそらく、7/5資料の総合的な考察の以下の部分か、「主なポイント」を読んで書いたのであろう。
 「受講した更新講習の受講直後の内容面に限った満足度は、「満足」と「やや満足」の合計が過半を占めており、「不満」および「やや不満」はそれぞれ8.1%、8.0%と低く、半数以上が内容的に満足しているといえる。しかしながら、時間負担や費用負担等を踏まえた総合満足度については、「満足」と「やや満足」の合計が19.1%にとどまる一方で、「不満」が39.0%、「やや不満」も19.5%と、ネガティブな回答の合計が58.5%と過半を占めていた。」
 間違ってはいないかもしれないが、ミスリードしそうな書きぶりではある。想像するに、自宅から離れた受講会場に、5日間も通うのはいくら内容がよかったといってもその部分は不満傾向になると思う。この調査結果から推測するに、コロナ前よりもコロナ後の方が総合的な「満足」の割合が高いという結果になっているというのは(3.4%→5.5%)、オンライン講習で移動のコストが抑えられたのが理由だと考えることができる。もしかしたら、この記者は結果概要の「調査結果の主なポイント」しか見ていないのかもしれない。

 メディアの報道も微妙なもので、取りようによっては教員バッシングを誘発しかねない。「やっぱり教員は甘い」というムードをひたひたと醸造させていくのだ。もうそれはやめた方がいい。学校のような社会的共通資本は未来を創っていくのに非常に重要な装置だ。そしてその中でたとえブラックといわれながら多くの先生たちは日夜頑張っているのだ。力を合わせてみんなで応援しなければならない。

 今、教員のなり手が少なくなっている。とてつもない現在の社会課題だ。
 なにしろ、教員の採用選考試験の競争率は顕著に減少しており、平成12年度に13.3 倍と過去最高を記録した公立学校の倍率は、平成30年の4.9 倍まで年々低下が続いているのだ。
 6/25の朝日新聞では「教員志望者の減少に歯止めがかからない。背景には、かねて指摘されてきた厳しい労働環境がある。SNSには過酷な現状を訴える声があふれ、夏の採用試験を前にした受験生にも不安が広がる。教育委員会側は試験の免除などハードルを下げてまで、先生のなり手確保に躍起になっている。」という記事がある。新聞が教育を支えていくのは、スポーツのスポンサーシップだけではない。


 さて、それではいよいよ今回の本題だ。
 どんな改正が考えられるのであろうか。なにしろ大目的は以下の3項目だ。
 A: 教師の資質能力の確保
 B: 教師や管理職等の負担の軽減
 C: 教師の確保を妨げないこと
 更新講習制度を無くすことも選択肢の一つだが、ものには順序というものがあろう。それでは、いくつかの項目に分けて、A~Cがかなうかどうか〇(かなう)、△(どちらともいえない)、×(むずかしい)、で考えてみよう。

1.講習内容はどうなるのか
 今までの議論の中で確実なのは、現状の更新講習の内容でも悪くはないということになる。特に必修領域で最新の教育事情として扱われている部分や、選択必修領域で扱われている不登校等現在の教育課題にあたる部分は必要だという意見も多く、意味があると答えている中教審委員からの意見もある。
 現行制度で言うと、総時間30時間中3/5を占める選択講習が、希望したものが満員となり受講できない、地理的に遠隔で受講できない、受講しないわけにはいかないのでやむなく選択した、などとなっているのが課題のようだ。
 となると、必修領域を中心として講習全体を見直すことが進むと考えられる。
 〇 A: 教師の資質能力の確保
 △ B: 教師や管理職等の負担の軽減
 △ C: 教師の確保を妨げないこと

2.講習時間はどうなるのか
 おおむね1日6時間、5日間で30時間という講習は、10年に一度とはいえなかなかの負担となる。それも受講場所はさほどアクセスがいいとは限らない。
 となると、オンラインを活用することが求められてくる。しかしながら、5日間自宅で机に向かってオンライン講習受講というのも負担だ。オンデマンドであれば、見たい時に見ればいいではないかという意見もあるが、30時間一方通行の講義というのもなかなか大変である。
 では、講習時間を減らすことができるかというとそれもなかなか実現しまい。なにしろ、大学の1単位は45時間の内容なのであるから減らすことは難しいと考える。
 となると、現行制度をうまく使って、星槎大学1day講習のような仕組みはどうであろうか。
 〇 A: 教師の資質能力の確保
 △ B: 教師や管理職等の負担の軽減
 〇 C: 教師の確保を妨げないこと

3.受講期間ははてさてどうするのか
 考えてみれば、30時間は1年に3時間ずつなら10年で満たす。つまりは受講期間が10年間あれば、平均して、1年に3時間、つまり半日受講すればいいことになる。例えば、1時間1ポイントにして10年間の間に、30時間に相当するポイントを集めればいいのである。
 おそらくこれは、実に有効になってくる。1時間1ポイントなら30ポイントであるが、更新期間を5年にして5年間で15ポイントにするのも可能だ。3年間で10ポイントでもいいかもしれない。このあたりを柔軟にすれば教育委員会の講習もポイント換算できるし、何しろ全データをつなげば更新のうっかり忘れなどなくなるはずだ。
 〇 A: 教師の資質能力の確保
 〇 B: 教師や管理職等の負担の軽減
 △ C: 教師の確保を妨げないこと

4.対象者はどう考えていくのか
 現在受講対象者は、講習を受講できる者として、教育職員免許法と免許状更新講習規則でかなり細かく定めている。現行法上では、教員免許を持っていても受講できない者がいるのである。
 教師の確保、それも社会人経験を積んだ人材として、それなりの免許保持者を確保し、現場で活躍してもらうには間違いなく講習が必要となる。そのために、教員免許を持っている方すべてを受講対象者とすべきだと思う。
 マイナンバーカード同様、講習情報も入れることができる教員ライセンスにすることになれば、更新講習のみならず人材確保にも寄与できると考える。何しろ学校現場では人材が必要なのである。しかしながら、ただいればいいというわけではない。
 現在更新講習を受講することができない、いわゆるペーパー免許の方も受講できるようにすればいい。何しろ、教員免許を取得して卒業する大学4年生は、そう増えはしないのである。すでに免許をもって社会人経験を持つ人材を教育現場に迎えるのである。その際に、5日も好きに休めるわけはない。
 〇 A: 教師の資質能力の確保
 〇 B: 教師や管理職等の負担の軽減
 〇 C: 教師の確保を妨げないこと

5.講習会場
 これは、自宅での受講を基本にするべきだと提案する。
 今の技術であれば、オンラインによるグループワークも可能である。そして何より、GIGAスクール構想のある意味モデルにもなる講習になる。足りない部分は、自宅での環境整備かもしれないが、勤務校のある方は、勤務校を活用するのもいいかもしれない。
 今回の調査で、すべてオンラインで受講した層の総合満足度は低いという結果があるが、オンラインでインタラクティブな授業になっていたのであるかどうかは明らかではない。おそらくオンデマンドの一方通行だったのではないかと想像する。
 〇 A: 教師の資質能力の確保
 〇 B: 教師や管理職等の負担の軽減
 △ C: 教師の確保を妨げないこと

6.講習方法
 オンライン講習を進めるべきだと考える。講習のオンライン化の促進は、前述の講習会場の課題をクリアするだけでなく、新たな学びの方法を提案することになる。
 また、それは、今までの学びの見直しにもつながり、より充実した学習活動・教育活動の展開につながるはずだ。
 〇 A: 教師の資質能力の確保
 〇 B: 教師や管理職等の負担の軽減
 〇 C: 教師の確保を妨げないこと

7.基本的仕組み・制度
 申送りにもあった、「教壇に立っていない方と現職が一律に一緒な講習とすることは矛盾が大きい」という意見であるが、講習数が十分あり、その講習の内容が明らかで、受講生が自分自身に必要な講習であれば全く問題ないと考える。
 学修履歴も管理するし、今まで見てきたような取り組みを進めれば新たな時代に適応するクリエイティブな教育環境ができるのではないだろうか。
 〇 A: 教師の資質能力の確保
 〇 B: 教師や管理職等の負担の軽減
 〇 C: 教師の確保を妨げないこと

8.それよりなにより、ほんとに廃止になるのか
 私の経験からいうと、なくす必要はないと考える。Society5.0のなかGIGAスクールの本質から言って、すべての情報を共有して有効活用するのは当然の流れだ。期限付き免許になって10年経過している以上更新は必要であるし、学校教育を支えている教員には研修が必要だ。そこをうまく活用していけばいい。社会人経験を積んだ教員も必要だ。これらは、今回見てきたとおりだ。


 さて、今回は更新講習廃止報道から始まって、今後の更新講習の在り方まで議論してきた。誠に勝手気ままな議論なので、実際のところどうなるかはわからないのであるが、今までの自分の経験を活かすべく真面目に取り組んでみたので面白がってお付き合い願えるとありがたい。
 そういえば、10年ほど前になるが、退勤後の先生たちを想定して平日夜間の更新講習を実施したことがあった。スタッフ全員で、受講生が来る前に、休憩時間にみんなで食べる夜食のおにぎりを準備したのを思い出す。部活指導帰りはおなかがすいてるもの、ちょっとでも口に入れてといううちの創設者のはからいだった。ちょうど、民主党政権になるときで、いらした受講生である先生方は、何でやんなきゃならないんだという不満満々であった。せめてもという思いの一品だった。
 そんなとき、とある受講生が講習中「試験には何がでるのですか。教えてください。お金払って落ちるわけにはいかないので」というようなことを講師に言った。すかさず、講義を受けていた年長の受講生教員が「おい、教員としての誇りを持とうぜ。気持ちはわかるが、おれたち生徒にそう言われたらどうするんだい。」
 私も現場で15年ほど、なかなか手のかかる子どもたちと過ごしてきたので、いいたかったセリフを年長の受講生に言ってもらって安心した。思うことと、いうことは全く違いますので。このあたりなかなか、開設者からは言えないもんです。
 実は今回のこの状況、この時に似ているなと感じています。
 間違いなく言えることは、あの時と同じで待っていてもなにもいいことがないということかなと思います。何しろ法改正は、早くて来年1月からの通常国会ですので。
 コマーシャルのようになって恐縮ですが、星槎大学の1day講習、今回の調査に見事に対応していると自画自賛しています。まだまだ申し込みは可能ですので、情勢が明らかになって申し込みが殺到する時期の前にどうぞ。なにしろ、受講期間は2年間で、これからはコロナで延期なさった方もいますので、早めに学んでいただくのがいいかなと思っています。会場はご自宅、今なら日程は選べます。

1day講習とは

 次回は、小委員会も第4回を迎えているので、どんな具合になっているか見ていきましょう。


(スケジュール予測)
更新講習に関する答申 最速 2021年9月
省内調整・法案準備
法案提出 2022年1月(最速5月改正法成立)
周知移行期間 最低1年
2022年度受講対象者は現制度適用
新制度開始 2023年度
2023年度は新制度への移行期間で旧制度との併用
更新講習改正法の改正内容は  ①講習内容 ②講習時間 ③対象者 ④受講期間など詳細は省令か?

//////(著者紹介)//////
松本 幸広(まつもと ゆきひろ)
 埼玉県秩父郡長瀞町出身のチチビアン。学生時代宮澤保夫が創設した「ツルセミ」に参加。大学卒業後宮澤学園(現星槎学園)において発達に課題のあるこども達を含めた環境でインクルーシブな教育実践を行う。その後、山口薫とともに星槎大学の創設に従事し、いわゆるグレーゾーンのこども達の指導にあたる人たちの養成を行う。星槎大学においては、各種教員免許の設置をおこない、星槎大学大学院の開設も行う。「日本の先生を応援する」というコンセプトで制度開始時から更新講習に取り組んである。新たな取り組みである、「1day講習」の講師も務める。


事務局(小林)2021/07/27 11:52:27

香港はどこへ向かうのか

2021年7月27日/執筆者:大和 洋子 教授(星槎大学 共生科学部)

<習近平演説に見る中国統一>
 2021年7月1日、中国共産党建党100周年記念の祝賀大会が北京の天安門広場で開かれた。そこで習近平総書記(国家主席)は、1時間以上演説し「台湾問題を解決、祖国を完全統一する」と宣誓した。遡ることちょうど24年前、1997年7月1日に英国植民地だった香港が中国に返還された。1984年12月にマーガレット・サッチャー英国首相と中国の実質的指導者だった鄧小平との間で、返還後50年間は香港の資本主義及び民主主義体制を維持する「一国二制度」が約束されて1997年の返還を迎えたのだった。この時の「一国二制度」は、後に台湾も中国に帰属させるための布石だったと言われる。

<骨抜きになった「一国二制度」> 
 「一国二制度」が約束された香港がどうなったか。2019年6月から「逃亡犯引き渡し条例」改正案への抗議デモが本格化し、学生を中心とする民主派と香港警察との間で激しい抗争が起こったことは記憶に新しい。同年9月には、キャリー・林香港行政長官は逃亡犯条例案の撤回を表明したが、学生を中心とする反対デモは、逃亡犯条例の撤回だけでなく、2014年の「雨傘運動」の契機となった行政長官選挙の民主化や民主化運動で逮捕された仲間の名誉回復などを含めた5つの要求全てを受け入れるまで徹底的に戦うことを宣言した。若者を中心とした民主化運動は収束を見せるどころか、共通交通網の破壊や幹線道路の封鎖、国際空港での反政府抗議活動、大学を拠点とした立てこもりなどへと激化し、中国は人民解放軍の投入も辞さない構えを見せていた。

<「国安法」の威力> 
 反政府デモの激化により、幼稚園から大学まで授業はオンラインに移行していたが、2019年11月には学校が再開された。しかし11月末に今度は中国武漢で原因不明の肺疾患が発生、年が明けるとCOVID-19は徐々に世界中に広まり、教育機関は再び学校閉鎖、オンライン授業になった。そんな中、2020年6月30日夜半に「香港国家安全維持法(国安法)」が北京で可決され、翌7月1日から施行された。香港では7月12日に立法会予備選が行われ、民主派の優勢が報道されたが、香港政府は7月末に立法会選挙を1年延期することを発表する。そして8月に香港最後の民主派新聞と言われた「リンゴ日報」の創業者であるジミー・黎や、民主化運動の指導者であるジョシュア・黄やアグネス・周らが国安法違反の容疑で逮捕された。2020年11月には民主派の立法会議員4人が議員資格を剥奪され、それを抗議する他の民主派議員も一斉に辞意を表明した。
 2021年2月には、民主派の元議員らが国安法違反の罪で起訴され、3月には中国全人代が香港の選挙制度改変を決定し、民主派議員が立法会議員に立候補できない制度にした。そして6月24日、創業者だけでなく記者の逮捕や資産凍結の処分を受けた「リンゴ日報」が廃刊となった。
 毎年6月4日には、天安門事件の犠牲者の追悼集会がビクトリアパークで行われていたが、2020年はCOVID-19 を理由に集会は阻止された(それでも小規模ながら人は集まった)。今年は国安法施行後であるため、集会は厳しく阻止された。ビクトリアパークを見下ろす高層ビルに国家安全維持公署が置かれ、睨みを利かせている。

<学校教育における「国安法」>
 香港の学校は9月に始まり7月上旬に学年末を迎える。国民は政府の決めたことにもノーと言えるのが民主主義と謳い、デモは香港人の権利とまで書いていた(6つあるテーマの内、「今日香港」というテーマで扱われていた)「通識教育」(リベラル・スタディーズ)は、「公民と社会発展」に取って代わられることが2021年6月(中国語版は6月2日付、英語版は7月9日付)で発表された。そればかりか「国安法」や「中国人民共和国憲法」「香港基本法」、そして「一国二制度」に関連する内容が初等教育1年から中等教育6年までの12年間にわたり、徳育や公民教育といった科目のみならず、音楽や中国語、歴史、体育、英語、ICTに至る全ての科目の中でどのように扱われるべきかを事細かく指示する公文書が教育局のウェブサイトに7月に掲載された。

<統一か分断か>
 香港には中等教育から英語を主な教育言語とする学校(EMI校)と中国語を主な教育言語とする学校(CMI校)とに分岐 する。更に、これらの学校とは別に学校全体数の約6%が香港の教育課程を修めなくてよい国際学校群となる。歴史的経緯から、香港人は香港の教育課程とそれ以外の教育課程を選択できるようになっている。前者は12年間の無償教育であり、後者は自己負担・自己責任のもと、高額な学費が発生する。どちらの教育課程を経ても、香港人であれば、8校ある香港の公立大学の学費補助付き学位コースに進学する道が拓かれる(学籍1万5千人分/年度)。後者の教育課程、つまりIBディプロマや英国のGCE A-レベル、カナダやオーストラリアの教育課程などを選択した場合でも、香港人の場合は中国語の履修は必須である。しかし国際課程における中国語は標準語の「普通話」となるうえ、そのレベルを選択することもできる。香港の教育課程は繁体字を使う広東語と簡体字を使う「普通話」の両方を履修 しなければならない。香港教育課程における中等教育修了時の中国語試験は、古典の読解も含まれる母語としての科目だ。

 先に提示した2021/22年度の新しい香港の教育課程であるが、新年度から変更されるという通達は中国語(繁体字と簡体字2種類)と英語の三言語で提示されているが、その先の教育課程の詳細は中国語(繁体字)のみでしか示されていない。今後英語版も用意するのか、それとも広東語版のみで終わるのか。通識教育に変わる新しい「公民と社会発展」のテキストはどのような構成になるのだろうか。
 新しい「公民と社会発展」では、中華民族であること・中国文化・中国の伝統などを誇りにすることなどが扱われるようだ。国安法や香港基本法等に関する教育は、外交と軍事を担うことのできない香港は、中国がそれを代行していること、従って香港人は法を遵守する義務、責任があることなどに言及する。
 2014年と2018年の施政報告では、香港は多民族・多文化であり、誰もが等しく人権を持っていることを全面に打ち出した。2014年には民族的少数者への支援を、2018年には更なる支援を約束しているのだが、その支援は彼らへの第二言語としての広東語教育の強化・徹底に集約され、彼らの母語の保持に関する記述はない。これまで、中国語を母語としない主に南アジアからの移民の子弟は、指定校(designated schools)と言われる英語を主な教授用語とする学校に集約的に入学させていた。それを2014年から中華系の子どもの通う普通校への分散編入学させる政策転換をした。彼らを香港社会への適合・統合を目指すためというが、多文化の尊重にはなっていない。彼らにも中華思想を基とした教育を徹底するのであろうか。完全に中国になる2047年には、彼らも中国人として融合する・できる算段なのであろうか。

<香港はいずこへ>
 国安法施行後、キャリー・林行政長官名で、『中華人民共和國香港特別行政區 維護國家安全法 保一國兩制 還香港穩定』という小冊子が発行された。そこには「国家安全法」制定の経緯、「基本法」「一国二制度」の解釈が綴られており、海外の勢力と結託した「香港独立」や「自決」といった中央政府や香港政府に公然と反する行為は国家主権及び安全な発展に危害を加える行為であり、絶対認められないことを明記している。
 今後、大陸中国の思想がより徹底される香港教育制度の下で、教育を受けた学生と国際教育課程で中等教育までを修了した学生(多くが中華系)が、同じ香港人として大学に集うことになる。前者は中華人民共和国の解釈する「民主主義」のもと教育されてきた香港人であり、後者は西洋の「民主主義」思想のもと教育されてきた香港人である。香港の高等教育の教授用語は原則英語である。「民主主義」という同じ言葉をつかっていても解釈が異なる場合、討論する前に言葉の定義の合意から始めないと議論が成り立たなくなるだろう。その前に、国安法施行後、自由闊達だった学問の場においても、中央政府の顔色を窺いながらでないと言いたいことも言えなくなる雰囲気になりつつあるような気がしてならない。

【註】
 https://www.wenweipo.com/a/202107/01/AP60dd030ae4b08d3407ca3b4c.html
(「文汇报」で公開されている記念行事1時間42分記録映像、習近平演説は30:30から)
 日経新聞20217月1日電子版(2021/7/2 5:08更新)中国・習氏「外部の圧迫許さぬ」強権堅持、人民軍増強」共産党100年 
 1998年9月から始まった母語教育政策の下、中等教育校の約5分の2(114校)の学校をEMI 校とし、残りの学校は母語を教授用語とするCMI校としたが、2010年にこのラベリングを撤廃し、今はCMI校でも条件を満たせば英語を教授用語とするクラスを開設することができる。
  英語と中国語(普通話)は初等1年から教科として履修する。後期中等教育では、ほとんどの学校で「語文」、「中国文学」は広東語での授業となる。EMI校であっても中国語と中国歴史の教授用語は広東語である。中等教育修了試験(HKDSE)の中国語は試験言語を広東語と普通話から選択できる。

『中華人民共和國香港特別行政區 維護國家安全法』

参考文献
Newsweek 日本版 2019. 12. 3 号 「香港のこれから」
Newsweek 日本版 2021. 7. 13 号 「暗黒の香港」
阿古智子(2020)『香港 あなたはどこへ向かうのか』出版舎ジグ
South China Morning Post 

*筆者は2019年9月、2019年12月にそれぞれ1週間ずつ反政府デモ・学校休校の合間を縫って香港の学校訪問、インタビュー調査に出掛けている。


事務局(小林)2021/07/26 12:08:11

どうなる教員免許更新制1-今どうなっているのか-

2021年7月14日/執筆者:松本 幸広(星槎大学 事務局)

 さる7月10日、毎日新聞に「教員免許更新制廃止へ 文科省、来年の法改正目指す」という記事が毎日新聞に躍った。これは、どういうことなのか。記念すべき「どうなる教員免許更新制」第一回では、つまり今どうなっているのかということに焦点を当てる。

 そもそもの具体的制度の始まりは、平成18(2006)年7月11日の中央教育審議会答申「今後の教員養成・免許制度の在り方について」からだ。この答申では3つの新たな具体的取り組みが提示された。1つ目は教職課程の必修科目として教職実践演習という科目を配置すること。2つ目は教職大学院の創設に関して。3つ目が免許更新講習であった。

 1つの目教職実践演習というのは、大学に置かれている教職課程に最後の関門科目を設定するというものだ。日本中に毎年これだけ教員免許を取得している学生がいるが、その中にはどう考えても教員には不適格の者がいる。単位を取れれば免許が取れるということではなく、教育実習を終わってからでも、教員養成にあたる各大学は免許を出すか出さないかの最後の審判にあたるべしということを教職課程を持っている大学に課したのである。簡単に免許を取らせるなということだ。

 2つ目の教職大学院は、教員のキャリアアップというフィールドを制度化したものだ。MBAがアメリカでもてはやされて、日本に入ってきた制度が専門職大学院だ。平成15年に専門職大学院制度が始まり、経済経営系の次が法科大学院(平成16(2004)年)でその次が教職大学院(平成19(2007)年)である。
 この頃は、まさに新自由主義が正解だと世間が思っていたときだ。「自由競争」「自己責任」という言葉のもと、皆さん好き勝手に、いったりやったりしていた。教員バッシングの嵐の頃でもあった。教員もビジネスマンを見本に学びなさいと言わんばかりであった。

 それゆえ、3つ目の免許更新講習はあっさり平成19(2007)年法改正となった。
 よくすっといったなという気もする。なにしろ、この時から後に取得した免許は期限を付けるというだけならともかく、既に所持している免許に関しても更新講習を受講させるというのである。かなり無理のある法改正だ。思い返せば、全国に約100万人いる教員への社会からのバッシングなのではないかという気もする。確かにあの頃、大学卒業は極めて一般的になっており、新自由主義のもと自由競争にさらされ、若い年齢の社員に能力主義という名のもと使われるということがバブルはじけた失われた20年で展開していた。そんな中、自ずと人の上に立てる「教員」という存在は、妬み嫉みの日本社会からすると、浮いた存在になっていたのかもしれない。
 教員免許に期限を付ける法改正後、この件を主導していた中央教育審議会教員養成部会は以下の説明をした。
 「教員免許更新制においては、その時々で教員として必要な知識技能の保持を図るため、制度導入後に授与される免許状(以下「新免許状」という。)に10年の有効期間を定めることとし、免許状の有効期間の更新を行うためには、期間内に免許状更新講習(「以下「講習」という。)の課程を修了することが必要であるとした。また、制度の導入以前に取得された免許状(以下「旧免許状」という。)の所持者についても、一定期間毎に講習の受講を義務付けるため修了確認期限を設定し、当該期限までに講習の課程を受講・修了することが必要であるとした。」

 さて、この経過措置を定めた教育職員免許法附則の説明は以下の通りである。
 「最初の修了確認期限を到来させる年齢を35歳とするのは、免許状の授与を受けてから10年以上を経た者を対象とすることが適当であるためであり、最後の割り振りを55歳とするのは、59歳などで割り振ると、定年間際の者について講習の受講義務が生じ不適当であるためである。」(「教員免許更新制の運用について」中央教育審議会教員養成部会) 
 ということで、平成23(2011)年3月に満35、45、55歳の方が、平成21(2009)年4月から2年間で講習を受けて免許更新することになったのである。しかし、学びは人に強いるものではない。強いられた学びのつまらなさは皆さん身に染みてこたえたのではなかろうか。ある意味学校での学びを問い直すことになったかもしれない。
 そして、平成20(2008)年度は1年間をかけた周知期間である。テレビでもラジオでも、慣れない文科省初等中等教育局の職員が棒読みで一生懸命説明していたのを思い出す。

 そして、受講者も開設者もバタバタやって正式な講習を始めているなか、平成21(2009)年7月には政権交代となり、民主党議員(参院のドン輿石さんでしたね)から「更新講習をなくす」という発言も出てきたりしたが、政治とはまさに言葉先行が当たり前の世界で、その言葉も何とはなしに消えていった。当時の文部科学大臣は川端さんだった。
 しかしながら、この時から更新講習は法に則り粛々と進み、5年後には附則の通り見直しが行われ、必修講習12時間、選択講習18時間から、必修講習6時間、選択必修講習6時間、選択講習18時間と変更された。このときは、平成26(2014)年9月法改正して、平成28(2016)年改正法が施行である。

 ということで、ここまでが今の制度までの道のりである。
 そして、制度開始から現在までに、何度かことあるごとに制度見直し・廃止の話が上がっていた。しかしながら今回の報道は、「中央教育審議会 教員養成部会 次期委員会への申し送り」ということがきっかけとなって始まっている。
 令和3(2021)年2月8日の委員会の中での「教員免許更新制や研修をめぐる包括的な検証について(次期教員養成部会への申し送り事項)」と、
 「これまでの教員養成部会における教員免許更新制に関する主な意見」をぜひご覧いただきたい。

 この申し送りの意見は、読んでいただければわかるようにすべて、制度存続前提となっている。どのようにすればよりよくなるかという大変ポジティブな意見となっている。
 
 この申し送りを受けて、令和3(2021)年3月12日 萩生田文科大臣は、中教審に対して、教員免許更新制に関して、「現場の教師の意見などを把握しつつ、今後、できるだけ早急に当該検証を完了し、必要な教師数の確保とその資質能力の確保が両立できるような抜本的な見直しの方向について先行して結論を得てほしい」という諮問をおこなった。申し送りの通りの諮問である。その際、教員制度改革の包括的な取りまとめと切り離し、先行して結論を示してほしいとしたことから今回の動きが始まっている。
 確認になるが、諮問されたのは「必要な教師数の確保とその資質能力の確保の両立のため」なのである。しかし、中教審教員養成部会の申し送りに先立つ2月2日の記者会見で更新制度の見直しに本気で取り組むと宣言した後の流れなので、同じ会見で「教員免許制度の抜本的な見直し」にも触れたことで今回の更新制廃止が出てきたのではないかと推測する。

 また、この諮問に合わせるように、規制改革推進会議・雇用・人づくりワーキンググループからは、教員免許の有効期間が10年は長すぎるという意見がでた(3月15日)。
 教員免許の更新は、もっと短い期間が適切だろうという意見である。まさに抜本的な見直しの流れである。

 中央教育審議会では、教員養成部会の中に、教員免許更新制小委員会を置いて検討を始めた。第一回は4月30日、第二回は5月24日、そして第三回は7月5日であった。
 この回(7/5)では、答申にあった「現場の教師の意見などを把握しつつ」の結果である調査結果が資料として提示された。令和3年度「免許更新制高度化のための調査研究事業」である。この調査の自由意見の中の回答で50.4%を占めたのが、「制度自体を廃止すべき・免許更新制度に意義を感じない」と分類された意見であった。ちなみに回答割合を出すために、無回答や「なし」「特になし」等の回答は分母に含んでいない。含むと40.5%となる。
 これを受け、翌日「教員免許更新制に不満噴出 半数超「廃止すべき」文科省調査(しんぶん赤旗)」「教員免許に10年の期限「廃止して」現場から多数の声(朝日新聞)」があがった。そして、7/6の記者会見で幹事社として質問したのが毎日新聞の記者であった。

 そして、7月10日 毎日新聞に、「教員免許更新制廃止へ 文科省、来年の法改正目指す」という記事が躍った。

 ちなみに記者会見での質問は
 「1点質問させていただきたいなと思います。教員免許更新制に関してなんですけれども、昨日の中教審の小委員会の方で文科省の結果として、調査結果としてですね、これまで言われていた教員の負担というだけではなくてその内容に関してもかなり厳しい結果が出ております。それで、これまでの文科省の把握している調査においてはですね、内容に関しては一定評価を得ているというものだったわけですけれども、それとはちょっと違った結果が出ていて、たぶん大学の関係者なんかはショックを受けてらっしゃると思うんですが、この結果に関して、大臣としてどのように受け止めてらっしゃるか。それから、小委員会は、制度の存廃も含めて今後議論するとおっしゃってますけれども、今後の議論にどのようなことを期待されますでしょうか。」

 大臣の回答は、
 「昨日開催された教員免許更新制小委員会において、現職教師の教員免許更新講習や現職研修に関する認識等に関するアンケート調査結果が公表されたことは承知しております。(中略)教員免許更新制につきましては、本年3月12日に、中央教育審議会への諮問の中で、必要な教師数の確保とその資質能力の確保が両立できるよう、何らかの前提を置くことのない抜本的な検討が行われている途上ですが、引き続き、議論を深めていただきたいと考えております。私としては、そこで議論をしっかりと見守りつつ、スピード感を持って制度改革を進めてまいりたいと思います。(後略)」
 ということで、制度廃止には触れなかった。触れなかったことも一部でそれなりの話題になった。この後、この記者は取材をしたのであろう。そして、それなりの責任ある立場の官僚から「今夏にも廃止案を中央教育審議会に示し、来年の通常国会で廃止に必要な法改正を目指す」という話を聞いたのだと思う。
 おそらく、この官僚は大臣の意向を何らかの意図でリークしたのだと考えられる。意向は何か? 総選挙を睨んでのものか? 教育の管理を強めるためか? そうなると、今後の流れはかなり不確実ではあるが、本当に法改正を伴うとなると以下の流れが想定される。

(スケジュール予測)
更新講習に関する答申 最速 2021年9月
省内調整・法案準備
法案提出 2022年1月(最速5月改正法成立)
周知移行期間 最低1年
2022年度受講対象者は現制度適用
新制度開始 2023年度
2023年度は新制度への移行期間で旧制度との併用
更新講習改正法の改正内容は  ①講習内容 ②講習時間 ③対象者 ④受講期間など詳細は省令か?

 ちなみに、以下の記事が2020/6/9教育新聞にあった。
 1年前のこれも、今回の伏線ではあるが、その内容が・・・なのでどう取り上げてみるか。ある意味今回の大臣の意向を推し量る材料にはなるかもしれない。

---------------以下、記事の内容---------------
 萩生田光一文科相は6月8日の講演で、「学校の先生こそ、本当は国家資格の方がいいのではないか」と述べ、教員免許を国家資格に変更し、現在の都道府県ではなく、国が教員免許を交付すべきだとの考えを明らかにした。また、教員免許の更新講習に「ものすごく負担がかかっているのではないか」として、教員免許を取得して10年後に講習を受けて免許を更新すれば、20年後と30年後には更新講習を受けなくて済むようにすべきだとの考えを示した。
 質疑応答では、教員の人材確保について聞かれ、「教員という職業が、若い人たちにとって魅力的な職業であり続けることがすごく大事。そのためには、やりがいを感じられる環境を作っていくことが必要だ」と答えた。その上で、「文科省としてオーソライズ(公認)しているわけではなくて、私個人の私見」として、「小中学校の設置者は市町村。しかし学校教員は政令指定都市以外では都道府県の職員で、国が3分の1の人件費を持つ。誰が責任者なのか、すごくあいまい。私は学校の先生こそ、本当は国家資格の方がいいのではないか、国の免許の方がいいのではないかと、ずっと思っている」と述べた。
 教員免許を国家資格にするメリットについては、「例えば、結婚して居住地が変わったとしても、子育てが一段落したら、また教員として働けるようにしたい。いまは都道府県単位の免許になっているので、前の県では先生をやっていたけれども、いま住んでいるところでは(免許の)取り直しをしないと先生ができないという不具合もある。1回免許を取れば、ずっと生涯使えるような仕組みを作ればどうか、というイメージを持っている」と説明。「これが教員のプライドにつながるのだったら、ぜひチャレンジをしてみたい」と意気込みを見せた。
---------------ここまで---------------

 最後に、我々も開設者として、文部科学省には更新講習廃止の報道について担当部署に質問してみた。
 回答は以下の通りであった。
---------------以下、質問回答の内容---------------
お問い合わせいただいた件につきまして、
教員免許更新制については現在中央教育審議会にて抜本的な検討を進めているところであり、現時点ではまだ方向性を打ち出すには至っておりません。
文部科学省としましては、中央教育審議会での議論を踏まえ、制度の見直しに関する検討を速やかに着手してまいりますが、現現段階で教員免許更新制の廃止を固めたという事実はありません。
---------------ここまで---------------
 という予想通りの回答であった。

 次回以降は、教員免許更新制小委員会の議論を追いながら、どんな新制度が考えられるのかを考えてみたい。講習内容はどうなるのか、講習時間はどうなるのか、対象者はどう考えていくのか、受講期間ははてさてどうするのか、ほんとに廃止になるのか、注目です。

//////(著者紹介)//////
松本 幸広(まつもと ゆきひろ)
 埼玉県秩父郡長瀞町出身のチチビアン。学生時代宮澤保夫が創設した「ツルセミ」に参加。大学卒業後宮澤学園(現星槎学園)において発達に課題のあるこども達を含めた環境でインクルーシブな教育実践を行う。その後、山口薫とともに星槎大学の創設に従事し、いわゆるグレーゾーンのこども達の指導にあたる人たちの養成を行う。星槎大学においては、各種教員免許の設置をおこない、星槎大学大学院の開設も行う。「日本の先生を応援する」というコンセプトで制度開始時から更新講習に取り組んである。新たな取り組みである、「1day講習」の講師も務める。


事務局(小林)2021/06/16 18:09:41

習近平と近衛文麿―国際新秩序

2021年6月16日/執筆者:大嶋 英一 教授(星槎大学大学院 教育学研究科メディア・ジャーナリズム研究コース)

 中国の習近平総書記は先日、中国の国際的な発信力を強化するよう指示した1。中国は昨年のコロナ禍以来、対中批判に対しては極めて攻撃的な反論を行なっており「戦狼外交」と呼ばれているが、習近平の指示は戦狼外交を改める契機になるのではないかと日本では注目された2。しかし、習近平の発言の中には、それよりもはるかに注目すべき内容が含まれている。それは、これまで中国が意図的に避けてきたはずの「国際新秩序の構築」という言葉が含まれていたからである。本稿では、なぜ国際新秩序という言葉が注目されるのか、および国際秩序をめぐる中国の考え方の変遷を追ってみた。

1. 新興大国の台頭と国際秩序
 第一次世界大戦と第二次世界大戦の歴史を振り返ると、そこには顕著な類似点が存在する。それは、新興大国が自国にとって不利な既存の国際秩序に不満を抱きそれに挑戦したことが戦争につながったことである。第一次世界大戦前に新興国ドイツは当時の覇権国であるイギリスを経済力では凌駕しており、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世は「世界政策」を掲げて既存の秩序に挑戦したが、アフリカやアジアなどはイギリスとフランスによってすでに分割されており「遅れてきた帝国主義国家」であるドイツの入る余地は乏しかった。第一次世界大戦の直接の契機はバルカンでのオーストリア帝位継承者暗殺事件であったが、ドイツが既存の国際秩序に挑戦したことが欧州全体に広がる大戦争になる大きな要因となった3
 第二次世界大戦、特に太平洋戦争では、アジアの新興大国である日本が第一次世界大戦後のアジア・太平洋地域の国際秩序であったワシントン体制に不満を持ち、満州事変を引き起こし、国際連盟からの脱退、日中戦争と続いた。日中戦争が始まった翌1938年には近衛文麿首相が日中戦争の目的は東亜新秩序の樹立にあると声明を発した。これを既存の国際秩序へのあからさまな挑戦と捉えた米国は翌年日米通商航海条約を廃棄し、日本は軍需資材の入手に困難をきたして、太平洋戦争につながった。このように第二次世界大戦においても、新興大国が既存の国際秩序に挑戦して大戦に至るという共通点が見られる4

2. 中国と国際秩序
1)習近平の国際新秩序発言
 発言は5月31日の中国共産党政治局会議集団学習会の席上習近平がおこなったものである。政治局とは、習近平総書記を含む中国共産党のトップ指導者25名から構成される共産党の最高意思決定機関で、通常ひと月に一回開催される。
 習近平の国際新秩序に関する当該発言部分は次のとおりである。
 「私たちは、多国間主義を提唱し、一国主義と覇権主義に反対し、国際社会がより公正で合理的な国際新秩序を共同で形成するよう導き、新型国際関係を構築すべきである。」
 これだけを読むとそれほどおかしなことと思われないかもしれないが、下記4.の通り、習近平が構築しようとしている国際新秩序とは、要するに中国の世界観に基づいた国際秩序のことのように思われるのである。

2)国際秩序に関する中国の従来の立場
 鄧小平以降の中国は、現行の国際秩序を正面から批判することを慎重に避けてきた。これは、戦後の国際秩序を構築しかつそれを時には軍事力を行使しても守ってきた米国と衝突することを避けるためであった。特に1989年の天安門事件で国際的に孤立し、1991年のソ連解体により唯一の社会主義大国となった中国にとって、それは必然的な選択であった5。これがいわゆる「韜光養晦(とうこうようかい)外交」である。その後中国が急速に経済発展し2012年に習近平が総書記に就任すると、習はそれまでの韜光養晦外交を改め「中国の特色ある大国外交」と呼ばれる積極的に自己主張する外交を展開するようになったが、それでも現行の国際秩序に挑戦するような発言はせず、逆に中国は現行の国際秩序の擁護者であると言い続けてきた。
 実際2015年の国連総会に出席した習近平は、「中国は常に世界平和の建設者」、「世界発展の貢献者」、「国際秩序の維持者」であり、「国連憲章の趣旨と原則を核心とする国際秩序と国際システムを引き続き維持する」6と強調したのである。総会演説に先立ち習近平は、「人類が直面するグローバルな挑戦の増加に伴い、グローバルガバナンスにも改革が必要になるが、そのような改革は現行の秩序をひっくり返し全く新たな秩序を形成しようというものではない」7とわざわざ断っている。習近平は2020年9月にも国連で演説しているが、国際秩序に関しては2015年の演説と同じ内容を繰り返している。

3)米国が主導する「世界秩序」と中国が擁護する「国際秩序」
 それでは中国は米国が主導する国際秩序に満足しているのだろうか?答えはもちろん「否」である。元外交官で習近平のお気に入りと言われている論客傅瑩は、習近平の2015年の国連演説を引用しながら、中国が擁護している国際秩序と米国が主導する「世界秩序」は同じではないと述べている。彼女によれば米国が主導する世界秩序は、西側の価値観、米国の軍事同盟、および国連を含む国際機関という三つの要素から構成されている。これに対し中国が擁護する国際秩序とは、国連憲章の趣旨と原則を核心とする国際秩序であり体制であるとしている8。つまり中国が擁護する国際秩序は、米国が主導する「世界秩序」の三つの要素のうち三つ目の国連を含む国際機関とは重なり合うが、西側の価値観および米国の軍事同盟は擁護すべき国際秩序に含まれないのである。おそらく2015年の習近平国連演説に先立って、中国内部ではこのような理論的な整理がすでに行われていたと考えられる。

3. なぜ今国際新秩序なのか?
 それでは、今回習近平はなぜこれまで自制してきた「国際新秩序」という言葉を使ったのだろうか?それは最近の米中関係の結果と考えて間違いないだろう。米中関係はトランプ政権時代に著しく悪化したが、当時の米国の対中政策はトランプ大統領の気まぐれな性格によるものと保守主流派が遂行しようとしているものの区別がつきにくい状況にあった。バイデン大統領は、副大統領時代に訪米した習近平にアテンドし一緒に旅をした仲で個人的な関係を築いていたことから、中国としてはバイデン政権はより穏当な対中政策をとると期待していた節があった。しかし、バイデン政権が成立しその対中政策が明らかになるにつれ期待は幻滅に変わった。バイデンはトランプ政権の対中政策を継承しただけでなく、同盟国と協調して中国と「競争」する道を選んだからである。
 中国のバイデン政権への不満を如実に示したのが、3月に2日間にわたりアラスカで行われた米中の外交対話であった。米国からブリンケン国務長官とサリバン大統領補佐官、中国側からは楊潔篪政治局員(前外相)と王毅外相が参加した。この会議は、バイデン政権発足後初の米中外交トップレベルの協議で注目を浴びたが、会議の冒頭、記者がいる前で米中双方が一時間にわたり相手国を批判するという異例の展開になった。この席で楊潔篪は国際秩序に関して次のように述べた。「中国が従い、支持しているのは、国連を中心とする国際システムと国際法に裏付けられた国際秩序であり、一部の国が提唱するいわゆる『ルールに基づく』国際秩序ではない。」9この発言は上記傅瑩の考えを一歩進めたものであり、米国を中心とする西側諸国の提唱するルールに基づく国際秩序は中国が従うべき国際秩序ではないと宣明したものである。中国の外交トップがこのような発言をしたことは極めて重要である。

4. 国際新秩序の内容は何か?
 以上のとおり中国が米国主導の国際秩序に従うつもりがないことが明らかになったが、それでは習近平が言及した「国際新秩序」の内容はどのようなもので、現行の国際秩序とどのように違うのだろうか?
 上述のとおり習近平は「私たちは、多国間主義を提唱し、一国主義と覇権主義に反対し、国際社会がより公正で合理的な国際新秩序を共同で形成するよう導き、新型国際関係を構築すべきである。」と述べているので、多国間主義が秩序の一つの要素であることが推測される。しかし多国間主義とは通常国連を中心とする国際協調を指し、これは現行国際秩序にも含まれる内容で新秩序とは言えない。また、新型国際関係とは、従来のように同盟を結んで対抗するのではなく、協力とウィンウィンを目指す新たな国際関係とされているが具体的な内容は明らかではない。
 むしろ習近平が上記発言の直前の部分で「中国のアイデア、知恵、解決策を広く発信しなければならない。 私たちは、…5千年以上の中華文明に基づいて、中国の発展観、文明観、安全保障観、人権観、エコロジー観、国際秩序観、グローバル・ガバナンス観を全面的に明らかにしなければならない。」と述べていることがヒントになるだろう。要するに習近平は中国の価値観に則った新たな秩序を構築しようとしていると考えられるのである。

5. 習近平は近衛文麿になるのか?
 いずれにせよ習近平の発言は、従来の中国の立場を大きく踏み出したものであり、これが東アジアを含む世界情勢にどのような影響を与えるか注視する必要があろう。東亜新秩序を謳った1938年の近衛声明は、日米関係の悪化を招いたが、近衛は1940年には基本国際要綱を決定して大東亜の新秩序(いわゆる大東亜共栄圏)の建設を目指し、北部仏印に進駐、さらに日独伊三国同盟を結んで米国との対立を決定的にした。
 習近平は2013年以降一帯一路建設を国策として推進している。中国は勢力圏を形成する意図はないとしているが、中国の大規模な投資が投下されれば中国の影響力が増大することは避けられないし、債務の罠などの問題も現実に生じている。一帯一路を大東亜共栄圏と同一視するべきではないかもしれないが、その類似性はどうしても気になる。
 太平洋戦争開戦後の1943年に日本は大東亜会議を招集し大東亜共同宣言を発出した。同宣言は1941年に米英首脳が戦後の国際秩序の基礎をなす構想として打ち出した大西洋憲章を意識したものと言われている。折しも6月10日バイデン大統領は、ジョンソン英首相との間で新大西洋憲章を発表した。習近平はどう反応するのだろうか?

注)
 12021年6月2日付人民日報
 2たとえば、「『愛される中国』目指せ 習氏、イメージアップ指示」時事ドットコム https://www.jiji.com/jc/article?k=2021060500299&g=int 
 3もちろん戦争の要因は新興大国による既存秩序への挑戦以外にも多数ある。第一次世界大戦に関しては、汎ゲルマン主義と汎スラブ主義の対立といったナショナリズムに絡む要因も大きいと言われている。
 4米国の政治学者グレアム・アリソンは、古代より覇権国が交代する時に戦争が起きやすいとして、このような現象を「トゥキディデスの罠」と呼んでいる。
 5もっとも鄧小平は、天安門事件の翌年の1990年に中国の対外政策の二つの柱の一つとして、国際政治経済新秩序の樹立を挙げている(もう一つは、覇権主義、強権主義に反対し、世界平和を擁護すること)が、同時に米国とのイデオロギー論争を避け関係強化を指示している。『鄧小平文選3』p.353
 62015年9月29日付人民日報
 7習近平が米紙ウォール・ストリート・ジャーナルの書面インタヴューに答えたもの。2015年9月23日付人民日報。
 82016年2月15日付人民日報
 9“Secretary Antony J. Blinken, National Security Advisor Jake Sullivan, Director Yang And State Councilor Wang At the Top of Their Meeting - United States Department of State” https://www.state.gov/secretary-antony-j-blinken-national-security-advisor-jake-sullivan-chinese-direct...e-of-the-central-commission-for-foreign-affairs-yang-jiechi-and-chinese-state-councilor-wang-yi-at-th/ 


事務局(小林)2021/06/07 09:33:14

編集日記:言葉を怖れる 

2021年6月5日/執筆者:坂田映子 教授(星槎大学 共生科学部/大学院 教育学研究科)

 面白いもので、真逆な格言があるものだ。「先んずれば 人を制す」そうかと思えば「急いては 事を仕損ずる」。「寄らば 大樹の陰」、そうかと思えば「大樹の下に 美草無し」など、真理には2つの顔があることを、先哲が簡潔しかも端的にまとめあげている。箴言による「徳の過剰は、不徳に転ずる」も一方の真理を強調し過ぎることを戒める道理が説かれている。いずれか一方だけを取り入れれば、危うさが付きまとう。
 文章も思いの丈を書き綴り、良かれと思って述べたとしても、賛否が分かれたり、一部が切り取られ、独り歩きしたりすることがある。逆に、何気なく書いた文章が人の心を引き付けることもある。さしずめ、「強すぎる文章は 人の心を二分する」「何気ない文章は 人の心に火を灯す」というところだろうか。
 文章を書くとき、適切な言葉を選び、使うのは実際、難しい。言葉がいつの間にか自分を支配し、言葉や文章にとらわれていく。精神の自由とはおそらく言葉の自由と同意語ではないのかとさえ思える。それゆえ、文章を表現することには怖れを抱いてしまう。

▼言葉の支配
 我々にとって、言葉は誰に対しても共通に与えられている。我々は言葉で話し、読み、書き、考える。少なくとも自分の言葉を思うように使いたいという欲望をもっている。自分の思考や情感をピタリと表現する言葉を使いたい。そうして自分の言葉を探すのであるが、探してはみるものの、自分の思いをいい当てるような言葉がそうそうあるわけではない。おまけに言葉は、記号や点ではなく、面となり立体となって意味を持ってくるので、なおさら厄介だ。
 「波が、何もかも海の底に引きずり込んでいった」と書き連ね、これを何回か音読しているうちに、自ずと、恐怖という感情が押し寄せてくる。実際、言葉によって支配されるとは、こういうことであり、日常的に体験していることだ。また、「昨日は雨が降った」というとき、それが虚偽であるかどうかは新聞やスマホで調べればわかるのだが、「昨日は、淋しかった」などという場合、調べる事実がないのだから、発言したその人を信じるほかはない。そこまで考える必要はないのだろうが、真実かどうか確かめたくなるものだ。

▼無に転ずる
 文章は、言葉より長いだけに、たとえ照らし合わせるものがなくても比較的ごまかされることが少ない。だが、よく読むとつくりすぎた文章や言葉が浮いてしまっている文章は、だいたい読んでいけば、文章になっていないことがわかる。実感のもたない文章は、言葉が落ち着かず、厚みを持つことができない。誰も使わないような言葉を使っても無意味だということを改めて思い知らされる。時には、誰が読んでも優等生的だと思われる文章も、少しも実感がこもっていないため、相手に伝わっているとは言いがたく、実につまらないものになっているものがある。
 また、文章には、主観を入れないものもある。例えば、科学的研究などは、主観性をもたない。主観性は固有のものであるから、普遍性の確保のためには主観性を排除していかなければならない。だが、主観性を排除することが普遍性を確保し得るかといえば、多分、それはない。芸術などではこの主観性こそが深くかかわる。いわゆる理論の構築自体が既に主観的なものである場合が多い。表面上、客観的な記述にしたにしても、文章を書くことは自分を語ること以外の何物でもない。だが、本質を問うたり、根源を追究したりするときは、固有のものを認めながら、それに執着しない方向に進んでいくことになる。書き続けることによって、やがて、自分の執着を越え、自分がなくなっていく瞬間、さらさらとした状態に転じていく。この瞬間の無の状態が客観性を持つことになるのではないかと、ことさらに思う。

▼「間(あわい)」
 かつて恩師が、「有と無の間(あわい)に生きる」ことを強調していたことが思い出される。それは、等間隔の中間ではなく、妥協点を見いだすということでもなかった。「間(あわい)」とはどこにあるのか、記憶を辿ると、別々のように思えることも実は全てがどこかでつながっている。どちらかにとってのみ善いことは、結果的に誰にとっても善いことにはならない。というようなことであった。そう考えると、真面目に物事に取り組もうとすればするほど真理の顔は、二重どころでないことに思い当たる。文章を書くにも解釈するにも、一方だけをいい立てると、真相をいい当てることからはますます遠ざかっていくように思える。
 「間(あわい)」は、物事に潜んでいる真実を見抜いていくといった意味をもつのではないかと、あれやこれや、思いは深まるばかりだ。

事務局(小林)2021/05/25 13:27:33

今だからこそ、「国家とは何か」

2021年5月25日/執筆者:堀川 徹 専任講師(星槎大学 共生科学部)

 新型コロナウイルスの感染拡大は今もなおとどまることを知らない。この出来事は世界中に大きな変化をもたらしているが、ロックダウンや緊急事態宣言など、実際にこの危機的状況に対応したのは―グローバル化が進んでいるにも関わらず―国際機関ではなく国家であった。しかしまたその国家も、とりわけ日本においては、オリンピック開催を巡る議論や一部の業種に対する休業要請とそれに伴う補償に関する議論、マスクやワクチンに代表される衛生観念を巡る議論など様々な場面で立場や価値観の相違に基づく分断が表面化し(これらの分断は国民間の分断のみならず、社会と国家の分断ともいえよう)、新型コロナウイルスの感染拡大はおろか、コロナ禍の社会に対して完全に対応しきれているとは言えない状況である。このような現実的問題に対応する国家について、現在、その重要性が再認識される状況にあるといえる。

 近年、個人が尊重され多様化が進んでいる。インターネット、とりわけSNSなどで個人の主張が容易に発信できる環境はそれらを加速させ、様々な分断が表面化した。そのような環境を踏まえれば、先に述べた分断は新型コロナウイルス感染拡大が引き起こしたというよりも、現代社会に潜んでいたものが今回の出来事により一気に表面化したとみるほうが良いのかもしれない。新型コロナウイルスの感染拡大に加え、こうした社会のあり方は国家をどのように変えるだろうか。あるいはそうした社会に対して国家はどのように対応すべきか。コロナ禍(あるいはポストコロナ)において国家の重要性が再認識される中、これらを考えるためには、国家とは何かという問題を改めて考える必要がある。

 国家の本質を考えるうえでは、現代の諸国家を素材として現状分析の側面から考えることが重要であるが、国家の誕生からその本質を問い直す歴史学的方法もある。筆者の専門は日本古代史である。日本史でも中世史以降の研究にはなく、古代史研究にのみ存在するテーマの1つに、国家がなぜ生まれてきたのか、どのように形成されてきたのかを明らかにするというものがある。何かが生まれる際には、その本質がクリアに現れることが多い。その本質に様々なものが付加され、形を変えて現代に至る。とするならば、国家も同様でその誕生を解き明かすことでその本質を明らかにし、国家とは何かという問いに対する解答が得られるだろう。一見現代から最も遠い古代史研究であるが、実はある意味現代と最も近いといえる。

 歴史学という学問は、常に「歴史を学ぶことは何の役に立つのか?」という命題が付きまとう。これについては一定の解答があるわけではなく、十人十色で様々な解答が用意されるのが常である。筆者が本学で講義をする際、以下に掲げるようにこれに対する自分なりの解答を紹介している。「歴史を学ぶことは何の役に立つのか?」という問いは、自身の主体性を放棄している質問である。「何かの役に立つ」という解答を求めている以上、自身がそれを何かに役に立てようとする意識は希薄で、それは普遍的に与えられるものであるという前提に立っているといえる。そのため筆者は「歴史を学ぶことは何の役に立つかはわからない。言い方を変えれば何の役にも立たせることができるし、何の役に立たせようとするかはあなた次第である」と考える。歴史学はその向き合い方において、極めて主体性が求められる学問であるといえる。著名な歴史家であるE.H.カーはその著書『歴史とは何か』の中で、「歴史とは現在と過去との絶え間ない対話である」との言葉を残している。すなわち現在の状況が変化すればその問い方も変化し、得られるものも変化する。この行為を常にし続けることに意味があり、歴史を何かの役に立たせようとする主体性そのものである。現状に照らし合わせれば、新型コロナウイルスの感染拡大が大きな変化をもたらした現在だからこそ、歴史への問いかけ方も変化し、得られるものも変化する。今、国家とは何かを歴史に問うことは極めて大きな意義がある。

 国家の重要性が再認識される今、改めて国家の誕生を問うことでその本質を導き出すとともに、現在あるいはポストコロナにおけるあるべき国家の姿を考えることができよう。新型コロナウイルスの感染拡大や分断が進む社会において、国家が果たすべき役割とは何か。この問題を考えることは共生社会を考えることにもつながるだろう。
 「国家とは何か」は古くて新しい問題である。

事務局(小林)2021/05/20 09:22:50

「戦争と平和」米国は停戦調停に全力尽くせ―イスラエル、パレスチナの武力衝突

2021年5月29日/執筆者:
佐々木 伸 教授(星槎大学大学院 教育学研究科メディア・ジャーナリズム研究コース)

 イスラエル軍とパレスチナ自治区ガザのイスラム原理主義組織ハマスとの武力衝突が激化、子どもを含む民間人に多数の犠牲者が出るなど全面戦争の様相を呈している。
 背景には中東和平への動きが止まり、イスラエルに抑圧されているパレスチナ人の不満がうっ積している現実がある。このままでは被害が拡大する一方で、速やかな停戦が必要だ。イスラエルに強い影響力を持つ米国が調停に全力を尽くすよう要求したい。
 今回の戦闘拡大はエルサレムにあるユダヤ教とイスラム教双方の聖地「神殿の丘」でパレスチナ人とイスラエル警察が衝突したのがきっかけだ。特に警察がイスラム教第3の聖地「アルアクサ・モスク」の敷地内に突入したことにハマスが反発、ロケット弾攻撃に踏み切った。5月10日以来、ガザ地区からイスラエルに向けて発射されたロケット弾は3440発を超え、一部はエルサレムや商都テルアビブ近辺に着弾した。
 これに対し、中東随一の軍事力を誇るイスラエルはハマスの軍事拠点など約700カ所を報復爆撃、地上部隊も砲撃した。イスラエルの攻撃は事実上、無差別攻撃。イスラエルはテロリストのハマスが住民を“人間の盾”にして人質に取っているためだと攻撃を正当化している。だが、住宅密集地に爆弾を落とすのはジェノサイドに等しい。私自身、かつてレバノンのベイルートで、3か月間、イスラエル軍の無差別攻撃に耐えた実体験がある。水も電気もないところで爆撃の恐ろしさに脅えながら生活する苦しみは大変なものだ。
 今回、ガザのパレスチナ人の死者はすでに、こども63人を含む217人。負傷は1500人。イスラエル側の死者は12人。(タイ人2人含む)こうした交戦激化に加え、パレスチナ自治区のヨルダン川西岸でもパレスチナ人とユダヤ人がぶつかり、「内戦」(リブリン・イスラエル大統領)さえ懸念される展開になっている。
 事態が一気に悪化したのは衝突がイスラム教徒の宗教心が高まるラマダン(断食月)に重なった上、中東和平交渉が頓挫したまま動かず、将来の展望が持てないパレスチナ人の怒りがたまっていることがある。特に東京23区の6割程度の広さに約200万人が居住するガザ地区は文字通り“天井のない監獄”。イスラエル、エジプトと地中海に囲まれた地域で、地区外への出入りは完全に閉ざされている。住民のストレスと不満がいつ爆発してもおかしくない状況にまでマグマがたまっていた。
 とりわけトランプ前米大統領がイスラム教徒にとっても聖地であるエルサレムをイスラエルの「永遠の首都」と一方的に認め、パレスチナ自治区の面積を3割も削減したイスラエル寄りの和平案を提唱したことに絶望感すら抱くパレスチナ人は多く、トランプ以後に望みをつないでいた。
 だが、パレスチナ人が期待をかけたバイデン米大統領は外交の重点を中国との対応に移し、中東和平には消極的。中東からの米駐留軍の完全撤退や、イラン核合意への復帰問題などを優先し、今回の戦闘激化にも反応は鈍い。
 バイデン氏は戦闘開始から1週間たってやっとイスラエルのネタニヤフ首相に停戦を要請するなど対応遅れは明らか。国連安保理は4回も緊急会合を開きながら、イスラエル側の立場に配慮する米国の反対で停戦を求める声明を出せないでいる。
 国際社会が一致して暴力の連鎖を止める努力をしなければならない時、米国のこうした姿勢は到底看過できるものではない。だが、イスラエルとパレスチナ側に実効的な圧力を掛けられるのは米国以外にないのも事実だ。バイデン氏は直ちにブリンケン国務長官を急派し、調停に本気であることを示すとともに、イスラエルとパレスチナの「2国家共存」方式による中東和平達成の取り組みを再開しなければならない。平和を希求し、アラブ人とユダヤ人の共生に向けた道筋をつけるのが超大国としての責務である。

事務局(小林)2021/05/12 13:21:28

日本は米国の対中戦略に巻き込まれたのか?
 ーバイデンが最初に会った菅総理

2021年5月11日/執筆者:大嶋 英一 教授(星槎大学大学院 教育学研究科メディア・ジャーナリズム研究コース)

日米首脳会談―日本には主体的な戦略がない?
 筆者は毎月中国に関する研究会に出席しているが、4月下旬に開催された研究会では、菅総理とバイデン大統領の間で4月17日(現地時間4月16日)に行われた日米首脳会談のことが大きな話題となった。バイデン政権になって初の日米首脳会談で注目されたのは中国に対してどのような認識や政策が示されるかということだった。会談後に発表された共同声明 では、予想外に明確な形で「ルールに基づく国際秩序に合致しない中国の行動に懸念」を表明し、具体的には中国の東シナ海や南シナ海への進出、香港や新疆での人権問題を取り上げて批判し、さらに台湾問題の平和的解決を求めたのである。
 研究会のメンバーはジャーナリストや中国研究者であるが、議論となったのは、日本は米中の間でうまく立ち回るべきなのに米国一辺倒の立場を表明してしまい米中の板挟みに苦しむことになるのではないかというものであり、中には日本は独自の外交戦略がなく米国のいいなりになっているのではないかとの厳しい評価もあった。このような評価は、研究会のメンバーだけでなく日本のメディアも似たような懸念を表明している。たとえば、4月18日付の朝日新聞の社説は、「日米首脳会談 対中、主体的な戦略を」との見出しからも分かるように、日本には主体的な戦略がないことを前提に議論を展開している。
 しかし、日本には本当に戦略がなかったのだろうか?本稿ではこの点を中心に議論してみたい。

日本の置かれた状況―トランプ危機
 トランプ政権時代、米中関係は大揺れに揺れた。当時も米国は現在と同様、海洋問題、香港・新疆の問題、さらに台湾問題などを巡って中国と対立していたが、トランプが特に力を入れたのは、米中間の貿易問題であり、その結果米中双方が互いに制裁関税をかけあって米中貿易戦争と呼ばれた。
 日米関係は、安倍前総理がトランプと個人的な信頼関係を築くことに成功したことから直接の矢面に立たされることは少なかった。安倍総理の「抱きつき外交」だと揶揄する向きもあったが、トランプの矛先は中国だけでなく欧州の同盟国にまで向けられていたことを考えれば、安倍総理の功績は正当に評価されるべきだろう。
 このように日本はトランプからの直接的な不利益を受けずに済んだが、より大きな視野で眺めるとトランプ大統領の4年間は日本にとり強い危機感を持たせるものになった。それは、戦後米国が主導して形成してきた国際秩序を、トランプが無視し米国の短期的経済利益のみを重視するディール外交に走ったからである。戦後の国際秩序は、1941年にフランクリン・ローズベルト米国大統領とチャーチル英国首相の間に交わされた大西洋憲章が基礎となっており、その多くは国連憲章に引き継がれている。米国の戦後の行動が常に正しいものであったわけではない(例えばベトナム戦争は明らかな誤りだった)ものの、大きな流れとして国際関係を見たときに、米国が戦後の国際秩序をリードし、かつ、自らの犠牲を払っても維持してきたことは認めなくてはならないであろう。その際、安全保障面ではハブ・アンド・スポークスと呼ばれる米国を中心とする同盟網が国際秩序を支えてきた。日本に関して言えば、日米安保条約により日本は軽軍備の下で経済復興に勤しむことができたし、現在も日本の防衛費の対GDP比は主要国の中で最低の部類に入る。しかし、トランプはこのような同盟関係に大きなヒビを入れたのである。守って欲しければ金を払えと言わんばかりのトランプのやり方は、同盟関係の根幹にあるべき相互信頼関係を大きく揺るがした。しかもこの間中国は軍事的にも経済的にも急速に発展し、東アジアの力関係は急激に変化したのである。このような力関係の変化をバランスさせ中国の懸念すべき動きを抑止するためには、日本だけの努力では不可能であり、どうしても東アジアにおける米国のより大きなプレゼンスが必要であるが、まさにそのようなときにディール外交にしか関心のないトランプ政権が現れた。トランプは中国にとってのみならず、日本にとっても悪夢であったのである。

バイデン政権の対中政策と日本
 このような中で米国にバイデン政権が成立した。日本としてはどうすべきだろうか?バイデンは、大統領選挙の時から国際協調重視、同盟国重視を表明してきた。これは既存の国際秩序を維持していきたい日本にとって願ってもないことである。しかし、不安材料もあった。2012年に訪米した習近平(当時国家副主席)を当時副大統領であったバイデンが米国内を共に旅行し、24、25時間もプライベートに話し合ったという2。この時の経験からか従来バイデンは習近平を高く評価しており、バイデン政権の対中政策はトランプ政権に比べ融和的になるのではないかとの予想もあったからである。もしそうなれば、米国の東アジアにおけるより大きなプレゼンスを確保し日本と共に中国に対する抑止力を強化するという日本の期待は十分実現できなくなってしまう。今回の共同声明を読む限り、幸いその懸念は杞憂に終わったようである。

日本の戦略―抑止と協調
 日米共同声明が出された後日本の一部のメディアには、中国との武力衝突を前提とした防衛力の強化や法整備などを積極的に推進すべきであるという記事が散見されるようになった。しかしこのような考え方は、日本の戦略を一面的にしか捉えていないように思われる。確かに日本は自国の防衛力を増強しつつ米国の東アジアにおけるより大きなプレゼンスを確保しようとしているが、その目的は中国と敵対することではなく協調することにあると考えられるからである。一体何を言っているのかと思われるかもしれないが、前述の通り現在アジアではパワーバランスが中国に大きく傾いており、この傾向が続けば中国は日本を含む近隣諸国の声をますます聞こうとしなくなってしまう。だからこの地域における米国の関与を強めることでバランスを回復し、中国が地域の声を聞き入れ共存共栄の道を歩むよう促すということなのである。
 つまり、日本の戦略は、中国が勝手に国際秩序を変更しないよう中国に対する抑止力を高め、同時に中国との協調を図るということである。抑止と協調は車の両輪のようなものであり、どちらか一方が欠けても戦略としては成り立たない。実際日本と中国は隣国同士で引っ越しができない以上、たとえ気に入らなくてもなんとかうまくやっていくことを考えなくてはならない。しかも、日本と中国との経済関係は極めて緊密で、日中貿易はこの10年余りずっと日米貿易を上まわっている。また、あまり報じられないが、米中貿易額も日米貿易額よりずっと大きいのである。このような状況の下で中国と敵対することを目的とする戦略を採用することが下策であることは容易に理解されよう。

残された課題
 今回の日米共同声明を読む限り、上述の日本の戦略はかなりの程度盛り込まれていると言えるだろう。しかし、課題もある。それは、抑止力強化の部分に比べ中国との協調に言及した部分がわずかで、しかも具体的でないことだ。中国は今回の日米首脳会談に対し、「日米は口先では『自由で開かれた』ことを鼓吹しながら、実際は徒党を組んで『小グループ』を作り、集団的対立を扇動している」 3と強く反発している。中国はおそらく日本が感じている中国の脅威の大きさを理解できず、日本は米国の戦略に引きずられていると見ているのであろう。また、日米共同声明で明示的な形で台湾問題が取り上げられたことに中国は強い衝撃を受けているようである(注)。中国は自分より弱いものには容赦しない傾向があるから、今後日本に対して厳しい対応を取る可能性もある。日本としては、これに対し反発するだけではなく辛抱強く意思疎通を図っていくと共に、中国と協調できる具体的なプロジェクトを模索していくことが重要であろう。

(注)日米共同声明で台湾問題が明記されたことに関する日本のメディアの分析は表層的で物足りない印象を受ける。この問題についてもいずれとりあげてみたいと思う。


1, 日米首脳共同声明「新たな時代における日米グローバル・パートナーシップ」2021年4月16日https://www.mofa.go.jp/mofaj/na/na1/us/page1_000948.html
2, 濱本良一「中国の動向」『東亜』No.645, 2021年3月号p.30
Biden says U.S. won't lift sanctions until Iran halts uranium enrichment - CBS News 2021年2月7日
https://www.cbsnews.com/news/biden-interview-iran-sanctions-nuclear-agreement/ 
3,「外交部、米日共同声明の中国に関する否定的内容についてコメント」2021年4月19日付人民日報日本語版 http://j.people.com.cn/n3/2021/0419/c94474-9840486.html 


事務局(小林)2021/05/02 01:30:06

◎院生の実践を尊重する新たな仕組みを
  宮澤保夫会長、星槎ジャーナルとインタビュー

 星槎ジャーナルはこのほど、星槎グループの宮澤保夫会長・理事長にインタビューし、コロナ禍で開催が危ぶまれる東京五輪や世界各地で起きているアジア人差別問題をはじめ、「誰でも、いつでも、どこでも学べる」という星槎の教育の原点などについて話を聞いた。宮澤会長は、特に大学院の教育の在り方に関し「社会人の実践をより尊重する仕組みを模索しなければならない」と述べ、修士論文だけではなく、院生個人の能力と適正に応じ、「通信制でも」実践論文をまとめることで修士資格を取得できるコースの必要性を指摘した。
宮澤会長はまた、50年前の「鶴ヶ峰セミナー (ツルセミ)」から始まった星槎教育について「生徒が20人いれば、先生1人対生徒20人ではなく、1対1が20組あると考えることだ」と語り、生徒個人個人の適性を見極めた、きめの細かい教育が重要である点を強調した。
 波乱万丈の人生についても振り返り、「行動せずして挫折することを拒否する」「決して諦めない」というモットーを今も変わらず持ち続けていることをあらためて力説し、グループの本拠地である大磯キャンパスに「科学する学校を作りたい」と壮大な夢を語った。会長のインタビューを上下2回にわたって掲載する。
 (星槎ジャーナル編集長佐々木伸、編集委員坂田映子、小林学)

―星槎ジャーナルは会長の発案で、星槎の発信力を強化するという目的で1年前にスタートした。今日はざっくばらんに会長の教育にかける思いやモットー、夢などについてお聞きしたい。まずは星槎も支援している東京オリンピックの開催に対してどんな風に感じているのか。

(宮澤)危機感をもっと発信せよ
 星槎はブータンやエリトリア、ミャンマーと覚書を交わすなど、五輪候補選手を受け入れて支援しているのはご承知の通りだ。昨日もブータンの国王殿下とZoomでオリンピックのことについて話をし、コロナパンデミックで1年遅れた五輪の開催について、色んな意見交換をした。
 開催するなら、総力をあげてやらないといけないが、星槎の教職員も含め日本国民の間で、コロナ禍の中で開催したほうがよいのか、しない方がよいのか、様々な意見がある。しかし、開催するなら、選手や関係者に迷惑がかからないよう照準を合わせてしっかりした体制を整備しなければいけない。だが、「ウイルスまん延防止策」については、日本政府がちゃんとした指針を出していないし、リーダーシップを取れているとは言い難い。オリンピックに対しての危機感というものが発信されていない。どうしたら開催できるのかを国民にもっと発信しないといけない。

―会長自身は開催に賛成か
(宮澤)一度決めたら、全力でやる努力をしないと
 僕個人はやりたい気持ちはある。それにこれまでの責任上もそうだ。だが、今言ったように感染症の問題や政治の問題が複雑に絡んでおり、正直困ったな、という感情もある。みんなが大好きなオリンピックをこの状況で本当に開催してよいのか、悩むところだ。しかしながら、一度決めた以上、国が開催をすると決定した折には、最大限の努力をもって、来日する選手、関係者を守らなければならない。
 感染対策が万全のスポーツイベントとしては、例えば、手前味噌で申し訳ないが、昨年2020年9月に箱根のキャンプ地で行ったフェンシングの大会は抜群だったね。日本で初めて、日本フェンシング協会の有志たちによる高校生を対象にした全国レベルのフェンシング大会を開催した。この時の準備や受入体制は、神奈川県の担当者も「ここまでやるのか」と驚くほどのものだった。医師や看護師、地域の行政やサポーターなど各方面の理解と協力のもと、立派に開催をすることができた。様々な競技連盟や行政の関係者が見学に訪れ、感心、感動し、その後これをもとに大会等を開催するようになったのは皆さんご存知の通りだ。それまでの大会開催は不可であるという常識を、徹底した防御体制と人員配置で覆した。それによって各地でスポーツ大会が開催されるようになったのはとても喜ばしいことだと思っている。オリンピック・パラリンピックに対しても、これ以上の体制を整えなければならない。それにはさらに人手も要ると思うので、覚悟を決めてやらないとね。

―オリンピックから話が飛ぶようだが、会長の目指す教育について聞きたい。1972年に横浜市旭区に学習塾「鶴ヶ峰セミナー」(ツルセミ)を立ち上げてから約50年、半世紀が経った。その教育方針に変わりはないか。
(宮澤)1対1が20組
 最初、「ツルセミ」を始めた時、「能力分けはしない」、まず「その生徒のもつ良さや可能性を育てる」ということを掲げた。生徒の個々の個性や適性に合わせた教え方をするというのが基本的な考え方で、生徒の「良さや可能性を引き出す」ことを目標にした。
 例えば、生徒が20人いたとすれば、1人の教師が20人に教える「1対20」ではなく、「1対1」が20組あるという考え方だ。生徒の理解力も個性も一人一人異なるからだ。その生徒にあった指導・対応が必要である。そういった生徒たちのための居場所・環境が必要だった。そもそも「通知表オール5を取らせる」教育ではないし、勉強ができるから優秀という考え方ではない。
 
―「共感理解教育」というのも教育の柱では
(宮澤)生徒個々人の適性を引き出す「共感理解教育」
 そう。大事なことは教科書の知識をマスターする「知識理解教育」ではなく、「共感理解教育」に力を入れてきたし、今後もそうしていくということだ。「共感理解教育」とは何か。簡単に言えば、世の中の様々な事柄を生徒たちの身近な問題を素材にして共感的に理解していくというものだ。身の回りには教科書で習う算数や国語、社会、理科、英語などの素材があふれている。そうした素材を自分や他者との関係を通じて、共感的に捉え直す教育といえるだろう。単に先生の話や教科書などを暗記したり覚えたりするだけではなく、自らの体験を通して主体的・対話的に理解を深めていく教育であり、今でいう「アクティブラーニング」につながる考えだ。


―先生が生徒一人一人の適性を見極めて向き合って進める教育だと思うが、「合理的配慮」という考えを先取りしたようにも感じるが。
(宮澤)遊ぶ塾と言われた
 そうだね。個々の個性を何よりも大事にするという意味ではそうだ。当時、「ツルセミ」は遊ぶ塾って言われていた。例えば、「野球をしたい」「じゃあやろう」と。その生徒を主人公に、できそうな場面・出番をつくってあげる。フライを取れない生徒が、僕出たいって。それを出すわけですよ。で、それでボールが飛んでいった。やばいな― ―って思っていたら、それが捕っちゃうんだね。やっぱり奇跡は起きるのだなあと。何を言いたいかというと、その時ボールを捕れたとしても、捕れなかったとしても、その場面で考えることがたくさんあったはずなんだ。要は、生徒たちには「場面を作ってあげる」ことが必要だということだ。

―塾をやっていて生徒たちに見えてきたものがあるのか
(宮澤)自分も学習障がい児だった
 まだ「発達障がい」という言葉がなかった時代。それは40年以上前、特定の科目の理解力に欠ける子、友人らとのコミュニケーションがうまく取れない子、落ち着きがなく、周りに迷惑をかけ続ける子、「自閉的な子ども」や「学習障がい」と呼ばれている子どもたちが数多くいることが分かった。そういった子どもたちは、普通と違う子として異質の存在に見られてきた。
 思えば、僕自身もそうでなかったのかと。小学校の通知表の連絡欄に「極めて落ち着きがない」と書かれていた。授業妨害をするわけではなく、とにかく周りの状況が気になる。窓の外に蝶々やトンボを見ると「先生、追いかけていい?」と聞く。3、4年生の時の先生には、何言ってるんだと怒られた。その時は座って、天井のシミや板の節目を観察したり、教室に貼ってある年表を眺めたり色々なことを考えて、我慢していた。5、6年生の時の先生はそれを許してくれた。そして蝶々やトンボを追いかけた。その時先生は紙袋を渡してくれて、「捕まえたらこの中に入れてね」と言ってくれた。授業が終わるとみんなで図書室に行って、蝶々やトンボから学んだ。トンボと思ったのがカゲロウだとわかったこともあり、みんな「すごい、すごい」と言った。共感理解ができていたんだ。これも学習のひとつだ。このように僕自身も一般的には「変わった子」として見られていたが、先生たちの理解によって大きな学びの場面を与えられていたと、今では思う。これは神奈川新聞で連載した『わが人生』の中でも話したが、算数の「足す」「引く」「掛ける」「割る」という概念が分からなかった。+、-、×、÷といったマークが違うとなぜ数字が変わるのか、例えば1+1=2なのに、+が斜めになって×になると1×1=1になる、その意味がわからなかった。今でいう「学習障がい」だったのではないか。ある時、兄に小銭を使って教えられた時、不思議と理解できた。

―星槎の組織が大きくなり過ぎたという意見をどう思う?
(宮澤)幼稚園は“ツルセミの精神”
 みんなは、お金のことを言うが、僕は自分で借りたお金は全部返したつもりだし、これまで、世の中に必要とするものを作ってきた。星槎の組織が大きくなりすぎたという人もいる。そういう面もあるので、新法人として、幼稚園を分離・分割した。幼稚園の先生たちは、自分たちの責任で銀行からお金を借り、少ない借金で校舎を建て、ちゃんと完済もしている。我慢するところは我慢して考えながら運営している。すごいことだと僕は今でも思う。これは“ツルセミの精神”だね。

―こうした教育方針については相当の批判があったのでは
(宮澤)教育の冒瀆と言われた
 不登校や学習障がいなど、さまざまな困難を持っている子どもがいることが分かり、そうした子どもたちのために宮澤学園を作った時、文科省のお偉方や公立の校長連盟など、各方面から、「教育を冒涜している」「こんなのは教育じゃない」という批判を受けた。元々を考えればわかるが、大人の社会観で子どもを見てるわけだ。子どもの側に立った時に、何が必要かということがまったくない。子どもの考えが全部良いわけではないが、彼らにとって何が必要か、とても重要だ。なぜそうした学校がないのかと思って、宮澤学園を作ったのだ。

―その後、日本で初めての学習障がいの子どもに対応する高等学校として「星槎国際高等学校」を芦別に作り、さらに星槎大学、大学院を次々に作っていった。こうした幼稚園から大学院の博士課程までの間で現在、建学の精神や会長の思いがきちんと貫かれた教育ができているのか。
(宮澤)社会人学生の実践を尊重し、能力を引き出せ
 大学を作った時、「不登校や発達障がいの子どもたちを理解できる教師を養成しよう」という思いで作ったわけだが、それはある程度成功した。次に声が上がったのは、修士課程を作ってくださいという要望だった。学部から大学院に上がってきた学生は、学業メインで2年学べるが、社会人の学生は生活しながら学ぶというのが一般的だ。
 繰り返し言うが、星槎大学は子どもたちを理解する社会をつくるべく、教育、福祉関係、またそれに興味を持つ大人たちへ向け、いかに子どもたちを理解する大人を多く生み出せるかということを考えてきた。そのような学生に対してどう指導していくか、どう力を付けさせていくかが、星槎の大学院の役割だと思っている。常に相手側の立場に立って考える指導者が重要なのだ。学生の持っている力を少しでも引き出してやることが必要なのだ。教員の考えや経験などを一方的に押し付けるのではなく、共に学び、共に学習する。「学びのフレキシビリティ」が必要だ。これこそ「共感理解教育」のひとつだと思う。
 だが、そうした指導のやり方が今、ちょっと変わってきているんじゃないかと心配している。私の考えに反論、異論、不満もあると思うが、中学、高校でできることが大学だからできないと考えるのはおかしい。
 「大学はこう」「教育はこう」といった考え方は僕には受け入れられない。指導する側が絶対ということはあり得ないと僕は思う。このような考えは甘いという人もいるが、僕はそれをやってきた。
 指導する先生の力量も問われるのだが、指導方法が昔ながらの教え方をしているのではないのか。学生が何を言いたいのかを見極めて、学生の能力をしっかり引き出して研究や論文作成をサポートすることが必要なのであって、そこを最初から「こいつはダメだ、この論文は出来が悪い」といった姿勢で接するようなことはやってはいけない。社会人学生は職場で積んできた経験や実践をもっと尊重されなければならないと思っている。

―会長も早稲田の大学院を卒業した経験があるが。
(宮澤)1年で修士論文を完成させた
 自分も大学院に通い1年で37単位を取り、修士資格を取得した経験がある。これは大変だった。寝る時間も削って頑張ったが、あの時間はものすごく有意義だったね。240〜250人の前で発表し、それを1週間に1回やるんだが、1ヶ月目からは、ほとんど毎週発表をしていたね。最後、論文の最優秀賞は取れなかったが、優秀賞は取れた。修士論文のテーマは「星槎のような学校がなぜ必要なのか、なぜ成り立っているのか」を中心に据えたが、論文で星槎のような学校が認められたのがすごく嬉しかった。その背景には指導していただいた先生方、話し合える仲間がいた。そういった人たちによって本当に学ぶことが多かった。論文が書けたこと以上に、先生、仲間たちとの関わりがどれ程自信になったか、最大の財産だと思っている。
 話は大学院の教育の在り方に戻るが、学生の実力がないのであれば、能力をなんとか引っ張り出す、文章力がないのであれば、それをつけさせる。学生の良い面を見つけ出し、伸ばしてやる指導でなければダメだ。学生との関わり合い、動機付けと発見が大事なのだ。教師側も学生側も時間、エネルギーを使うことは大変なことだと思う。特に星槎の学生はほとんどの人が働いている。2年、3年、4年といった修了への目標を持たせることだ。一般の通学制の大学院は2年での卒業を前提としている。しかし、私たちのような学生の修了時期がバラバラである大学院は、定員増をしなくても認められるべきだ。行政の側も、学生に対しても大学に対しても学ぶ環境にゆとりを持たせることが必要だ。文科省とももっと強く交渉を行い、認識を持ってもらうべきだ。

―大学院は通信制の教育学研究科と通学制の教育実践研究科に分かれているが、修論に一定レベルの内容が要求されるとすれば、修論執筆が厳しい学生もいるのが現実だ。だから修論が必ずしも教育学研究科の卒業要件ではない、違うシステムを新たに作る必要性があるのではないか。そういう議論が今、大学院の専任教員の間で始まっている。これについて、会長の考えを聞きたい。
(宮澤)ぜひ新しいシステムを作るべきだ
 社会人の現場で積み上げてきた実践を重視すれば、必ずしも修士論文の形を修了の要件にする必要はない。同じ修士の学位として教職大学院などを含めた専門職大学院では多様な学修成果が認められており、現に、専門職学位課程の教育実践研究科では修士論文の執筆が修了要件ではない。学修の証を示すことができるのなら、どんな形でもいいのではないか。具体的にどんなシステムがいいかは、じっくり議論してまとめればよいと思うが、社会人の実践を尊重する仕組みを模索しなければならない。
 考え方としては教育学研究科の中に「実践の集大成のような論文」の執筆によって修士資格を取得できるようにするか、あるいは実践研究科の中に通信制の仕組みを生かしたコースを作るかなどが考えられよう。ぜひそういう試みをやってほしいし、やるべきだ。教員には「誰でも、いつでも、どこでも学べる」という星槎の原点をあらためて思い起こしてほしいと願っている。
(続)

事務局(小林)2021/05/02 01:29:56

◎宮澤保夫会長インタビュー(続き)

―星槎グループは宮澤会長がいなければ成り立たないとはよく言われることだが、自身はカリスマだと思っているか。
(宮澤)会長はカリスマなのか
 カリスマ性は全くない。必要と思うことをやってきただけだ。諦めない、「諦めるには十分な根拠がない」という思いで、ずっとやってきた。このモットーは歳を重ねた今でも変わらない。福沢諭吉大先生も同じようなことをおっしゃっている。つまりは「自分で考えて動け」ということだ。出発点であるツルセミ塾、宮澤学園でも、それぞれの先生たちとの交流もやってきた。みんな面白がってついてきてくれた。学校に通う生徒たちも、これまでの学校生活とは違うといって楽しんでくれた。生徒たちは、家で学校の話をするようになり、友達ができたと笑顔が増えていった。僕は、父母会の中にもどんどん入っていって交流を深めた。基本的に人間が好きなのだと思う。自分で作った星槎グループだから責任も感じてはいるが、人間が嫌いなら、今日の僕はなかっただろう。

―カリスマ性とも関係があると思うが、人生のモットーについて伺いたい。色んな著作に書いているが、「行動せずして挫折することを拒否する」「諦めない」というのが印象深いが、いかがか。
(宮澤)革命家「チェ・ゲバラ」の言葉
 これらのモットーというか、人生訓は今も全く変わらないね。「行動せずして挫折することを拒否する」というのは尊敬する革命家「チェ・ゲバラ」の言葉だ。忘れないように、執務室に彼の写真を掛けてあるのは見た通りだ。「諦めない」というのも大事な戒めだ。自分にお金が無くてもできる方法を常に考える。なければ作っていこうと思うし、それをやってきた。これからもやっていこうと思っている。癌にかかり、後どれだけ生きられるのか分からないが、生きている間はとにかく種を蒔くってことが必要だと思っている。

―「諦めない」ということで言うと、会長が「技能教育施設」だった宮澤学園を学校教育法第1条の拡大解釈で非課税団体として大蔵省に認めさせ、通勤定期から通学定期を購入できるようにした経緯はその真骨頂ではないか。
(宮澤)根負けしたK指導官
 1986年のあの時のことは、今でも鮮明に覚えている。詳細な経緯は避けるが、宮澤学園高等部の生徒たちになんとか「通学定期」を持たせたいという思いが強かった。普通であれば文部省(当時)と交渉するのが筋だが、その話は一切受け付けてくれなかった。考えてみれば当時はまだ国鉄の時代、JRとして民間に移行する直前の頃で、そのどさくさもあったのかもしれない。当時の保土ヶ谷税務署の人に相談をしたところ「それは管轄が違うのではないか」と言われ、通勤定期を通学定期に切り替える判断をするのは大蔵省(当時)の仕事であると発見した。そして大蔵省を訪問したところ、権限を持つK指導官は、宮澤学園が一条校の分校として認められているにも関わらず、「技能教育施設は学校ではない」という原則を盾に、けんもほろろ、僕の要請を一蹴した。無理難題と言われ、相当批判された。だが、壁は高かったが、僕の執拗な訴えに3回目の面談で、折れた。「あんた、根性あるね」と言ってK指導官が僕の要求を認めた時には信じられなかった。宮澤学園を、この部分においては一条校と同じように扱ってくれたのだ。
 生徒たちが、横浜線十日市場駅で「学割」という印が入った「通学定期」を受け取り、喜んで学校に駆け戻り、先生たちと泣きながら握手を交わしたシーンは忘れられない。思い出すと、今でも涙が出てくる。3年後、宮澤学園の記事が出た時、K指導官から葉書が届いた。「学校はうまくいっていますか。良かったね」と。K指導官が僕の話を理解してくれて、社会的必要性と認めてくれたことが非常に嬉しかった。
 これも「諦めない」「行動せずして挫折することを拒否する」という信念のおかげだ。

―今、世界では、会長が育ててきた「人を認める」「人を排除しない」「仲間を作る」という星槎の理念、共生の理念と真逆のベクトルが走り回り、差別や偏見が広まっている。特にコロナ禍で、反アジア人の動きが目立ち、米国を中心に「悪意のある社会」が生まれているかのようだが、どう考えたらいいか。
(宮澤)背景にトランプの心ない発言
 その原因をつくったのは、やはり、米国のトランプ前大統領だと思う。米国の中の、白人が優位的な立場にあると思っている人たちが、大統領が言っているのだから遠慮することはない、言ってもいいのだと本音を出し始めた。不満を持っていた人たちが堂々と差別的な発言をし、ある意味「市民権」を得てしまった。悪意ある社会が生まれ、それが今、国際社会で猛威を振るっている。コロナ禍が終息するまでの一過性の傾向だと思いたいが、国際交流の中で、その偏見が中心になって物事が組み立てられていくことが心配だ。日本人も含め、アジア系の人たちは、差別や偏見などに対してあまり声にあげない。これも問題だ。

―国際交流についての業績は大きいものがあるが、貫いてきた思いについて聞かせてほしい。
(宮澤)大学は「国際交流」にもっと関心を
 僕は趣味のアマチュア無線のつながりなどを通じて若いころから海外を歩いた。ニューカレドニア、フィリピン、バングラデシュ、ブータン、エリトリアなどの多くの地を訪れ、貧困や教育の受けられない実態などを見た。そこで感じるのは「戦争の悲惨さと平和の尊さ」に対する思いだ。僕が、国際交流や支援に特別な感情を抱いているのはそうした体験が下地にある。星槎の学校名には、「国際」という文字が入っていることが多いのも、国際交流を大事にしているからだ。世界中の仲間とつながり、学び合い、交流したいと願うからだ。毎年、開催している「星槎アジア・アフリカ・ブリッジ」(SAAB)の参加者は、初年度だけでも5000人を超えた。すごいことだよ。大学が、もっと星槎の国際活動に関心を示し、それを学生に伝えてほしいと思う。

―今後のブータン王国との交流の在り方について
(宮澤)大学の教職員はもっとブータンを訪れてほしい
 ブータンとの絆をこれまで以上に太く強めていかなければならない。星槎大学の教職員がもっと同国を訪れ、また学ぶべきだ。そして自分の専門性を活かすことだ。ロイヤルティンプーカレッジ(RTC)と協働して何ができるか、考え、提案していくべきだと思う。RTCはブータンで初めての私立大学だ。多くの困難があったが、それを懸命な努力で乗り越え、開校に至った。それは教育に対する強い信念があったからこそだ。今でこそ他にもいくつかの私立大学があるが、質としてはRTCがブータン最高位だ。そしてRTCはブータンの多くの若者たちに学ぶ場を提供し続けている。ブータンにおける知的障がい、発達障がいや不登校といったことに対して理解する道筋も、この大学を通してできはじめている。だからこそ、RTCのような大学には、大きな大学との関係性も大切だが、私たちのような単科大学との協働も必要なのだと思っている。相手の良い文化と現場を考えることがまずは重要。それを考慮しながら、どう手助けしていくのかというふうに考えることが必要だね。
 コロナ禍が収まったところで、ブータンから留学生が来たら、星槎の学生との交流を深めてほしい、やるべきだ。大学からもっとブータン関連で声を上げなきゃ。

―最後に会長の夢について聞きたい。大磯キャンパスをもっと活用したいとの話もあるようですが。
(宮澤)「科学する学校」を作る
 僕の夢はここ、大磯キャンパスに将来、学校、就労、医療、福祉などを核にした町を作るということだ。広大な敷地の20%しかまだ活用していない。その手始めに、小・中・高の科学する学校を作りたい。「科学する」というのが大事。科学というのはサイエンスだけではない、「探究する」ということだ。もともと、星槎大学は、当初「科学する大学」という名前にしたかったのだが、動詞が入るのはダメということで断念した経緯がある。
 そして、繰り返すが、星槎の理念、「人を認める」「人を排除しない」「仲間を作る」という3つの約束を世界に広めたい。そのためにも星槎グループは障害を乗り越え、実践し続けなければ前進はないと思っている。

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