ーー星槎ジャーナルとはーー
 星槎ジャーナルでは、世の中の出来事や入り組んだ国際問題、複雑な人間模様など政治、経済、社会、教育、文化、科学、環境、スポーツなど森羅万象をテーマに、星槎の理念やジャーナリズムの視点から解きほぐし広く発信していきます。


ーー「星槎ジャーナル」のスタートについてーー
 このたび、大学大学院のホームページに「ジャーナル」を立ち上げ、スタートさせていただくことになりました。
 世の中の出来事や入り組んだ国際問題、複雑な人間模様など政治、経済、社会、教育、文化、科学、環境、スポーツなど森羅万象をテーマにの理念やジャーナリズムの視点から解きほぐし、学内外に発信していこうという試みです。

 過日、「ジャーナル編集委員会」(編集長佐々木)の第1回会合を開催し、取りあえず走り出すことにしました。走りながら考えるのか、という叱責をいただきそうですが、グループの広報の一助になればとも思っております。
 ジャーナル第1号は「わが身を見つめ直す時に転換しようコロナ禍、デマに惑わされるな」(佐々木執筆)を掲載しました。ちょっと長めですが、コロナ禍の中で、デマやフェイクニュースにどう対応したらいいのか、というのがテーマです。
 星槎グループ教職員の投稿を歓迎します。掲載に当たっては編集委員会の内規に従って決めさせていただきます。また編集委員会から執筆をお願いすることもあろうかと思いますので、前向きにご検討ください。

 「ジャーナル」に掲載する原稿につきましては、テーマを問いませんが、結果として、内容がの3つの約束などの理念につながったり、想起させたりするものであれば、一層歓迎したく思います。ジャンルはシリアスなものでも、エッセイでも、国際交流記や旅行ルポでもなんでもござれです。楽しく、ためになり、タイムリーという3つの「T」が原稿の1つの目安です。

 原稿の長さは400字詰め原稿用紙換算で1枚から10枚程度までと考えていますが、厳格には規定しておりません。掲載の頻度については不定期としてスタートします。

ジャーナル編集長 佐々木 伸
 

星槎ジャーナルー記事一覧

星槎ジャーナル[根記事一覧]
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事務局(小林)2021/04/09 19:04:37

生徒が変わる 生徒が活きる 北斗の学び
~ 星槎学園中高等部北斗校とは ~

2021年4月9日/執筆者:渡辺 保子 顧問(星槎学園中高等部北斗校)

 早すぎた桜の満開、今年は残念ながら入学式前に散り終えたが、もうすぐ令和3年度の新入生を迎える。コロナ禍での入学式は昨年に引き続き、残念ながら新入生と保護者1名の列席、中等部・高等部それぞれ2部に分かれての入学式となる。
 今年、星槎学園北斗校に入学する生徒は中等部高等部併せて75名、どんな表情で、どんな期待感をもって登校してくるのか、教職員もわくわく感をもって待ちわびている。

 さて、本校には、不登校経験や集団生活に何らかの困り感を持った生徒が北斗校に活路を求めて入学する。毎年、新入生代表の言葉には、小学校や中学校で辛いと感じていた状況が語られている。
 「僕は今まで、学校が楽しいと感じたことがありませんでした。行事や授業に参加することがとても苦手でした。特に算数や国語が苦手で、黒板も書き写す前に消されてしまうし、分からないことがどんどん増えました。分からないことばかりで、友だちに分からない・できないと言うことが怖かったし、馬鹿にされると思うと何も言えないし、苦しいことが多かったです。」
 この生徒が日々背負ってきた苦しみを、私も教職にいながらにしてどれだけ理解できていたか、思い起こすにつけ、改めて、とても切なく申し訳なく思う。
 また、「教育上、特別な支援を必要とする児童生徒のための教育」という主旨での特別支援級は、実際、生徒たちにとってどんな風に受け止められていたのか。
 「先生に進められて支援級に入りましたが、自分が普通の人ではなくなったかのように感じてしまいました。廊下で人とすれ違うだけでも人の眼が気になってしまい、自分自身が恥ずかしいと感じるようになりました。交流級で図工や音楽を受けていたのですが、その場にいることが嫌で自分を出せずにいつも緊張していました。」
 全ての生徒が同様の思いであったと断定するわけではないが、「支援級」という括られ方に区別されている=差別されていると感じ、多かれ少なかれ自己肯定感が低く、自尊感を持てない、努力する意欲を喪失してしまうなどの子どもたちを生むことにつながってはいなかったか。

 2007年、学校教育法の改正によって、多様な障害のある子どもをまとめてサポートする特別支援教育が生まれた。本来、特別支援教育は、障害があるかないかに関わらず、あらゆる子どもの教育を保障し、人々が互いを尊重しながら共に生きる共生社会を目指したインクルーシブ教育のはずであったが、現状の教育現場では上記のような精神面へ影を落とす結果も生じてきた。
 星槎で目指すインクルーシブ教育は、人間の多様性の尊重等を強化し、障害の有無にかかわらず、共に学び、精神的および身体的な能力等を可能な最大限度まで発達させ、自由な社会に効果的に参加することを可能にすることである。
 前述の特別支援教育との違いは何か、インクルーシブ教育教育実践の具体化が星槎にはある。
 
 では、その具体化を3つの事例に絞って紹介したい。
 1つ目は、北斗校では、もろもろの行事や活動を異学年異年齢で取り組む「中高一貫的教育活動」であり、北斗校の教育の柱としている。北斗校の中高一貫は、エスカレートでの進学が可能という意味ではない、中等部の生徒や高等部の生徒には当然、発達段階や成長段階に差違があるが、中高生が混じって行事や活動を実行委員会メンバーとして企画し、プレゼンし、実行するという活動をいう。交流があり、教え合いや励まし合いなどの学びがある。選択ゼミやクラブ活動・委員会活動はもちろん、下級生が先輩から学び、後輩を引き立ててくれる関係が出来上がってくる。先輩は後輩の真摯な意欲に触発されて、良き模範となるように努める。インクルーシブの最たる教育活動の様相があるといえる。
 「行事の実行委員になりたいといったとき、支援級の先生に困った顔をされたが、北斗では『やる気が大事!』と先生も友達も後押ししてくれた。いろいろ先輩に手伝ってもらうことも多かったけど、みんなの前で説明したり発表したりする経験をもらった。自信がついた。」(中3女子のSST授業発表)とあるように、活動を通して自信が付き、自己肯定感が生まれ、周囲の友人関係を信頼できる存在として認めることができることにつながっている。
 2つ目は、学習においては、分かり方・学び易さを自己理解し、自己目標に即して学び方を選択できる習熟度別学習の仕組みである。そこでは、区別でも差別でもなく、自己の能力に応じた学習の段階を選択して学び、ステップアップに挑戦することのできる仕組みがある。
 生徒の実態に応じた指導のもと、生徒自身が「分かる」「できる」のステップを踏めることは、学習意欲の向上につながっている。
 「数学もじっくり分かりやすく教えてもらってできることが増えました。やればできるとうれしくなりました。」(中1男子前期振り返り)
 3つ目の事例は、北斗ならではの多種多様な体験行事・活動にある。
 北斗では、中高6年間を通して「人との関わり」「地域との関わり」「社会との関わり」から学び、生活規範・社会規範の修得、そして「社会で生ききる力」の育みを目指している。多様な分野での活動には、意欲喚起のきっかけが満載である。その1端を挙げれば
 ・星槎で唯一実践している「水耕田」(地域人材との交流・生産活動・地域環境)
 ・SDGsの指標に向けたメトペマ活動(地域清掃活動・竹林間伐ボラ・海岸清掃ボラ)
 ・高大連携授業「命の授業」(食と命・地域環境・地球環境・絶滅危惧種・命の尊厳)
 ・国際理解教育と平和教育としての中3ハワイ・高2サイパン海外研修、NY研修
 ・宇宙教育
 これらの活動は、Participate and learn(参加して学ぶ)という学習で、好奇心や探求心を生み、人や教科や社会や文化などを様々な分野から、学びを繫ぎ、深めていくものである。これらの体験活動を通して生徒の中には大きな変化値が見えてくる。
 ステージ上で自分を語ることができる、ドキドキしながらもみんなに伝え表現できる、リーダーシップがとれる、進んで活き活きと活動する姿がある、自信をもって前を向く姿がある。
 「入学前の自分から見たら驚くほどの変化だと思う。人とうまく関われることができなかった自分が成長できたのは仲間のおかげです。先生の協力のおかげです。生徒会の役員を務めることができたことも、やりがいを感じています。」(卒業生)

 標題に架した「生徒が変わる 生徒が活きる 北斗の学び」、このタイトルは、北斗の生徒たちの実際を見て、生徒が顕著に成長し変化していく実態から表現したアピールタイトルである。生徒が活き活きと変化していく過程を見ることができる学校現場は、心楽しく喜びも大きく、教職にいるものの冥利といえる。
 コロナ禍の困難な状況下であっても、北斗の学校生活を楽しみ、仲間と一緒に自らをたくましく活き活きと変化させて成長することを期待している。

事務局(小林)2021/03/31 19:06:52

マンハッタンで白昼、アジア人を足蹴り−米社会で続くヘイトクライム

2021年3月31日/執筆者:佐々木 伸 教授(星槎大学大学院 教育学研究科メディア・ジャーナリズム研究コース)

 コロナ禍に終息の兆しが見えず、世界各地でアジア系住民人に対するヘイトクライムが急増している中、ニューヨークのマンハッタンの中心部で3月29日、フィリピン系米市民が黒人の男に酷い暴行を受ける事件が発生した。現場前のビルの中には警備員らがいたが、苦しむ被害者を全く助けようとしなかったばかりか、入り口のドアを閉める始末。その冷たい対応に、「共生」とは真逆の風景を見る思いだ。

▼相次ぐアジア系への暴力
 ニューヨーク警察が公表した動画や発表内容などによると、事件が起きたのはタイムズスクエア近くの西43丁目の歩道だ。歩いていた女性(65)の腹部を前から来た大柄な黒人の男がいきなり蹴った。女性が歩道に倒れると、今度はその頭部を思い切り3度蹴った。男は暴行中、「くそったれ、ここはお前がいるところではない」などと差別的な発言を繰り返した。

 男はそのまま歩いて立ち去り、女性は病院に運ばれ、入院した。米社会がショックを受けたのは暴行自体もさることながら、現場の前の豪華なマンションの入り口ホールにいた3人の男たちが暴行を止めようとしたり、女性を助けようとするなどの行動を一切起こさなかったことだ。そればかりか、女性が倒れて苦しんでいるのを尻目に、マンション入り口のドアを閉め、知らぬふりを決め込んだことだ。関わりを避けたと見られている。

 3人のうち2人はマンションビルの警備員で、ドアを閉めたのも警備員の1人だった。女性は数十年前にフィリピンから来た移民だという。警察は動画を公開し、逃げた男の行方を追っている。ニューヨーク市警のアジア人ヘイトクライム(憎悪犯罪)対策チームは警備員らが暴行を止めようとせず、入り口ドアを閉めたことを厳しく批判した。

 事件の後、ニューヨークのブラシオ市長は「恥ずべき暴挙」と、クオモ・ニューヨーク州知事も「恐ろしく野蛮な行為」と非難。バイデン大統領は、「アジア系米国人に対する高まる暴力を看過することはできない。こうした行動は米国的ではなく、止められなければならない」とツイートした。マンションビルの警備会社はドアを閉めた警備員らを停職処分にする措置を取った。

 ニューヨークでは最近、アジア系住民に対する憎悪犯罪が相次いでいた。例えば、地下鉄の駅でアジア系の女性が背負っていたバックパックに火を付けられる事件も発生。また地下鉄車内でアジア系の男性が殴られ、唾を吐きかけられる事件も起きており、邦人も含めアジア系住民の間に懸念が高まっていた。警察はアジア系の居住地域に覆面捜査員を配置するなど対応を取っているが、沈静化する気配はない。

▼ニューヨークでは8倍に急増
 ニューヨーク・タイムズがカリフォルニア州立大学の憎悪犯罪調査などの結果として報じたところによると、全米の16の大都市では2020年、前年と比べてアジア系住民に対するヘイトクライムが約2.5倍に増えた。特にニューヨークでは、8倍以上の28件に急増した。今年はすでに30件を上回っており、さらに増える見通し。

 全米でアジア系住民に対する憎悪犯罪が増えている理由について、民主党や識者の多くはトランプ前大統領が再三、新型コロナウイルスを「中国ウイルス」と呼んで中国非難の道具に使ったことを挙げている。人々はウイルスの感染や、行動制限、失職などに対する不満のはけ口を「中国ウイルス」というレッテルに求めたとも指摘されている。米社会で広がるアジア系住民蔑視の背景に、トランプ氏の一連の発言があるのは確かだろう。

 欧米の人々には中国人も日本人も区別がつかない。結果としてアジア人全体への差別や憎悪犯罪につながっているのではないか。バイデン大統領は16日に南部ジョージア州アトランタの銃撃事件でアジア系女性6人が犠牲になった後、ハリス副大統領とともに現地入りし、「沈黙することは共犯」などとしてアジア系への人種差別や偏見の高まりに危機感を表明してきた。

 大統領はマンハッタンでのフィリピン系女性に対する暴力事件の後、暴力被害の申告を容易にして事案を幅広く把握し、連邦捜査局(FBI)を通じて全米の警察官の憎悪犯罪に対する意識を高めることなどを柱とする新たな取り組みを発表した。また司法省も向こう1カ月かけ、アジア系住民に対する暴力をどう抑止していくか、具体策を検討することになった。

 だが、こうした憎悪犯罪を撲滅することは極めて難しい。アジア系に対する嫌がらせや暴力行為が「黒人の命も大切だ」という差別撤廃運動を掲げる黒人からの事案も多いことがその難しさを物語っている。そこには差別の「被害者」が差別の「加害者」になるといういびつな社会構造が広がっている。

 しかも、米国だけではなく、欧州や中東などでもアジア系に対する差別や偏見が広がっている。フランス政府はアジア系住民への差別や憎悪がかつてなく強まっていると警告しているが、「アジア人狩り」などという物騒な言葉がネット上などで飛び交っている。世界各地で頻発するアジア人に対する差別や偏見。私たちが差別される側に立たされた今こそ、人間の奥底に潜むヘイト感情を見つめ直す時だと思う。

事務局(小林)2021/03/29 10:22:50

働くとは何か

2021年3月29日/執筆者:手島 純 教授(星槎大学・大学院)

▼働き方改革
 働き方改革に関する報道が減っている。コロナ禍で働き方そのものに変化が生じていて、改革の焦点が揺らいでいることもある。しかし、馘首・雇止めが進行していて、働き方改革以前の状況もあるのにどうしたことか。ホームワークが進む今だからこそ、働き方改革は推し進められなければならないはずだ。加えて、働き方改革は単に労働時間云々ではなく、働くことの意味とは何かということも射程にいれるべき時代だともいえる。
 しかし、新自由主義による格差社会の拡大に伴い、1%の人間が世界の富の半分以上を握っているとも言われ、富の配分は公平ではない。奴隷的な労働を強いられている人がいる一方、剰余価値やマネーゲームで大儲けする人もいる。働くということの意味が人によって異なってもきている。労働は人間の本質にかかわることである。働くことの意味を考えることは、人間の在り方への根源的問いであるはずだ。

▼私の労働体験
 私自身、「働くとは何か」ということを長く考えてきた。いや、「働くこと」を長く実践してきた。
 最初の仕事(アルバイト)はベルトコンベアの前であった。試供品の懐中電灯に電池を入れて蓋をするだけの単純労働である。朝の9時から午後5時までただひたすら電池を入れて蓋を回す。右手の親指と人差し指の間が赤く腫れあがる。夜もその仕事をしている夢を見る。寝ても覚めても仕事をしているようだ。チャップリンの映画「モダンタイムス」の世界である。
 大学時代は仕事をしないと生活ができなかった。ダンスホールのウエイター・映画館のもぎり・日雇い・ボイラー作業員・家庭教師・ダスキンマットの営業などをした。留年もしてしまい、とにかく仕事をということでチリ紙交換の仕事をしたが、まったく利益を上げられずに頓挫した。定収入がいいと思い、2トントラックで新聞の配送をした。これは10か月続いた。その後、大学を卒業して民間会社員、県立高校教員、大学非常勤講師と仕事は続き、今に至っている。
 日雇いの仕事をしているとき、「俺たちはこんな立派な家づくりの仕事をしているのだぞ」と言った労働者がいた。しかし、「そこに住むのは作った人ではなく、お金のある他人なのだけどな」と思ったことがある。ちょうどそのころマルクスの『経済学・哲学草稿』を読んでいて、「疎外された労働」という考え方に共鳴していた。そこには「労働が労働者の本質に属していないこと、そのため彼は自分の労働において肯定されないでかえって否定され、幸福と感ぜずにかえって不幸と感じ、・・・略・・・彼の肉体は消耗し、彼の精神は頽廃化するということにある」と記述されている。労働というものすべてを「疎外された労働」に一般化はできないとしても、現在でも労働の疎外はあるし「搾取」は行われている。
 現在、マルクスが見直されているが、初期マルクスの「疎外された労働」にも光が当てられるべきであろう。
 
▼働くことの意味
 働くということは何か。旧約聖書では善悪を知る木の実をとって食べたアダムに神は働く(地から食物を取る)苦しみを与えた。ギリシャ時代は哲学の黎明期ではあったが、働くのは奴隷であった。キリスト教では労働は「苦」として位置づけられたが、勤勉と倹約が重視された宗教改革は資本主義の誕生に大きく貢献した。近代に入り、アダム・スミスやリカードの労働価値説が主流になる。日本では労働のなかに仏法があるという考えが長くあった。
 さて、 AIの登場によって働くことの意味は変化してくるのだろうか。今後の教育の在り方を教示する中教審答申(2016年)には「子供たちの65%は将来、今は存在していない職業に就く」「今後10年~20年程度で、半数近くの仕事が自動化される可能性が高い」などの予測にも触れている。そんな中でAIは働き方に関してどう位置づくのだろうか。

▼共生社会と労働
 先のマルクスは、人間(労働者)が食うことや飲むこと、さらにせいぜい住むことや着ることなどにおいてのみ、自発的に行動していると感じるにすぎないと言う(『経済学・哲学草稿』)。疎外された労働の下では労働が忌み嫌われ、労働していないときにのみ人間としての喜びを感じるのは、共生社会が目指す労働の在り方ではない。
 どのような働き方ができるかで共生社会の質が問われると思う。いくら理念がりっぱでも、そのために奴隷的な労働が強いられていたら、それは「共生社会」とは無縁の「強制社会」だ。自分の労働が疎外された労働になっていないか今一度問い直し、「働くとは何か」と自問するのは、人間存在への深いまなざしに通じると私は思う。

事務局(小林)2021/03/13 12:00:19

「米新政権の中東政策」

2021年3月12日/執筆者:佐々木 伸 教授(星槎大学大学院 教育学研究科メディア・ジャーナリズム研究コース)

◎人道支援に取り組め
 米国の中東政策がバイデン政権になって大きく転換した。際立っているのはイランとサウジアラビアに対する政策だ。
 中東が世界の火薬庫という不安定な状況は続いており、中でもサウジの軍事介入で戦火にあえぐイエメンの人道危機は深刻だ。
 バイデン大統領が地域の紛争の火消しに努め、本腰を入れて人道支援に取り組むよう求めたい。
 トランプ前政権はイランを敵視し、オバマ元政権がまとめた核合意から離脱し、両国の緊張を戦争の瀬戸際まで高めた。
 これに対し、早くから核合意復帰を明言していたバイデン氏は先月、イランとの対話を提案した。だが、イラン側が拒否し、対立は続いたままだ。
 イランが拒んだのはバイデン氏が復帰の条件として、イランがウラン濃縮などの合意破りを是正することが先決とした上で、弾道ミサイル開発の制限や地域の武装組織への支援中止も要求する考えを示したためだ。
 イラン側は一方的に離脱した米国がまず無条件に復帰し、制裁を解除するのが筋と主張しているが、その言い分には一定の合理性がある。しかし米世論や、議会にはイランに譲歩することに強い反発があり、バイデン氏にとっても無条件で復帰することには、政治的なリスクを伴い、難しい。
 ただ、経済の悪化でより困っているのはイラン側であり、いつまでも突っ張ってはいられない。
 バイデン政権にも、6月のイラン大統領選挙で反米の強硬派政権を誕生させないため、穏健なロウハニ政権に得点を稼がせたいとの思惑があり、両国が妥協点を探る余地はあるだろう。
 このイラン包囲網を築く際、トランプ前政権が同盟国として最も重視したのがサウジだ。特に同国を牛耳るムハンマド皇太子と親密な関係を築き、皇太子が主導したイエメン内戦への武力介入を支持し、軍事援助を続けた。 
 その結果、イエメンには世界最悪の人道危機が生まれることになった。国民の3分の1が飢餓の危機にあるという事態はもはや放置できない。
 バイデン氏は戦争に関わるサウジへの軍事支援を停止したほか、サウジ人反政府ジャーナリスト、カショギ氏殺害を「皇太子が承認した」とする米情報機関の報告書をあえて公表するなど、同国に厳しい姿勢を打ち出した。
 イエメン内戦が複雑なのはそもそも、その構図がイエメン暫定政府を援助するサウジと、反政府武装組織フーシ派を支援するイランとの「代理戦争」になっている点だが、バイデン政権がサウジへの軍事援助を停止したとしても、戦争が終わる見通しはない。
 それどころか、フーシ派は最近、サウジの石油施設へ攻撃を相次いで仕掛けるなど情勢は悪化している。こうした中では、イエメンの人道危機が緩和に向かうのは困難だ。。
 影響力が低下したとはいえ、米国の中東における軍事的、政治的なプレゼンスは群を抜いている。 バイデン大統領は地域の平和に向け、今こそ強力な指導力を示す時だ。

事務局(小林)2021/03/11 14:23:44

越後屋、お主も悪よのう
 ふふふふ、お代官様こそ


2021年3月10日/執筆者:佐々木 伸 教授(星槎大学大学院 教育学研究科メディア・ジャーナリズム研究コース)
          
 「越後屋、お主も悪よのう」「ふふふふ、お代官様こそ」・・・。ところは向島・大川端の高級料亭の奥まった一室。1人前7両もするお座敷だ。見事に配された池や木々が薄暗い石灯籠の灯りにぼんやりと浮かび上がっている。川風に乗って華やいだ三味の音が流れてくる。
 最近の江戸庶民に人気の高い携帯電話なるものの販売権を越後屋が一手に差し渡される見返りに、所管のお代官様に饅頭の下にぎっしりしのばせた小判入りの菓子箱が送られたところだ。隣室には“ノーパンしゃぶしゃぶ”ならぬお代官饗応のため芸者衆が待機、密議の終わるのを待っている。

 300年の時空を飛び越えて現代。総務省を舞台にした官僚の接待疑惑はとどまるところを知らない。総務省ナンバーツーの谷脇康彦審議官ら幹部が菅義偉首相の長男が務めていた放送関連会社「東北新社」やNTTから何度も多額の接待を受けていた疑惑だ。

 すでに谷脇氏は更迭され、総務省の幹部当時に接待された山田真貴子・前内閣広報官は辞任した。だが、驚くべきは官僚たちの言い訳である。「接待主が利害関係者に当たるとは思わなかった」などという答弁は人一番、嗅覚の鋭い彼らにはあり得ない話だ。利害関係者と当然知っていて会ったのは明らかだろう。国民を馬鹿にした白々しい主張には腹立たしさを超えて、あきれ返ってしまう。
 「飲み会を絶対に断らない」ことをウリにしていたという山田前広報官の「東北新社」からの接待は1回で7万4千円と破格だった。なんのために豪華な食事を奢られると思っていたのか。業者は見返りが期待できなければ、接待など無駄なカネは使わない。小学生でも分かることだ。
 しかも谷脇氏はNTT社長らからの接待で3回にわたり17万円を超える接待を受けていたが、割り勘分の5千円を払ったなどと述べ、応分の負担をしたことを強調している。どこの世界で、これが応分の負担と言うのか、本人に聞いてみたい。

 旧大蔵省の“ノーパンしゃぶしゃぶ”汚職事件の後、国家公務員倫理法ができ、官僚の利害関係者からの接待には厳しい規制がかけられたはずであった。しかし、今回浮き彫りになった官僚たちの接待漬けは同法がいかに形骸化しているかの証左であろう。何度も言うが、「越後屋」は見返りなしに「お代官様」を接待はしないのだ。

 もう1つ、今回の一連の接待事件で看過できないのは権力の影がまとわりついていることだ。言うまでもなく菅総理の影である。谷脇氏は総務省に強い権力基盤を持っている総理のいわば「懐刀的な存在」だったという。こうした谷脇氏らが総理の長男から接待の誘いを受けた時、総理との関係の損得勘定が頭に浮かんだだろうことは想像に難くない。

 安倍晋三前首相時代に明るみに出た森友学園、加計学園問題や桜を見る会疑惑はうやむやのうちに葬られた格好だが、菅政権はそうしたモヤモヤ感を払拭できないまま、コロナ禍に十分対応し切れていない。総理には政界の“黒子”からいきなり表舞台に立たされた戸惑いと、宰相としての能力の限界を感じてしまうのは私だけだろうか。「越後屋」と「お代官様」の構図はロッキード事件やリクルート事件といった疑獄を生んだ。菅政権が今、接待疑惑の膿を出しきらないと、より大きな不正につながる恐れがあるのではないか。

 かつて官僚らには日本を立派な国にするためという、自らの仕事に対する矜持と自負があった。明治維新に遡るまでもなく、名著「官僚たちの夏」に活写される高度成長期時代の官僚たちには国家を背負うという気概があったように思う。それが、官邸に人事を握られて以来、官僚たちは牙を抜かれ、総理や官房長官らに尻尾を振る情けない存在になってしまった。

 「やいやい、国家公務員倫理法に反しているとは思わなかっただって。がたがたぬかすな、この金さんの桜吹雪がすべてお見通しなんだい」(北町奉行・遠山金四郎)
 「民百姓の範になるべきお役にありながら、ご政道を歪めるとは許し難い、成敗!」(暴れん坊将軍・モデル徳川吉宗)
 「てめえらのような悪党はこの鬼の平蔵の目の黒いうちは許さねえんだよ」(火付盗賊改方長官・長谷川平蔵)
 
 このうちの1人でも現代に蘇り、世の中の不正を正してくれないか。そう思うこの頃であるが、今、3人の代わりにその役割を果たすのはメディアをおいて他にないだろう。あらためてジャーナリズム、メディアが強くならなければと思う。

事務局(小林)2021/03/09 19:07:30

メディア時評
 いのちの「司令塔」が哭いている!!

2021年3月9日/執筆者:
山口道宏 教授(星槎大学 共生科学部)

 大麻や拳銃の密輸摘発のように「水際作戦」をどうするのか。万が一はいりこんだら、感染したら、感染後には、何をどうするのが良いのか。そのとき既に保健所はパンク状態にあり、地域における公衆衛生必須の「連携」「情報共有」そのものがグラリと揺れた。
 人員削減のツケは重かった。「司令塔」がマンパワー不足では「SOS」も繋がっていかない。といって受け入れの医療機関も「ベッド不足」「人手不足」「機材不足」に喘いでいた。8月に政府は「応援派遣」での乗り切り策を発表するも「コロナ」は自治体をまたぎ蔓延しているから、拡散する危険を避けるシナリオは、もはや遺棄されたかのようだ。保健所の疲弊が続いては感染防止そのものが危ない。
 行き場のない患者(疑い)を前に、保健所が哭いていた。いまさらながら「司令塔」に、ひと、モノ、金がないのだ。国が目論んだ「コストダウン」は、後日、はるかに高いものについたことになる。

「電話が全然つながらない」
「どうして検査をさせないのか」
「早く医療機関を紹介して」
 と「コロナ」ですっかり悪者イメージとなった保健所。のっびきならない様相だが、限られた陣容と体制のもと、「---ひたすら(公衆衛生を守る)使命感だけでまわしていました」(都内・保健所スタッフ)は、現在も続いている。
 
 保健所等の相談センター運営は「24時間対応、全て直営」が7割近く、一部に他部署からの応援はあるも、保健師、医師、事務職、その他の専門職が総動員、次第にやむなく平常事業の縮小、延期、中止など必要となっていた (緊急アンケートより・全国保健所長会2020.3)。
 現場最前線からは、悲鳴にも似た、こんな内部事情も寄せられていた(同・自由記述まま)。

 「総合戦略 対策の見通しがない。いつまでこの体制を続けるか、封じ込めは困難、ウィルスとの共存、広域的政策的視点の必要性」「医療提供体制の確保 全医療機関が対策に応じるよう国からの強いメッセージが必要。通知のみでは無理。地域の実情に合わせて」「受診調整の困難 行動歴、接触歴なしの発熱だけの相談が医療機関から多い。外来後の受け入れ救急病院なし。県全体の方向性見えない」「検査体制の未整備 行政検査の枠組みで民間検査委託が増えず」「積極的疫学調査 自治体を超えた全国的な統一基準で調査が必要、都道府県の調整を柔軟に対応する等」「自治体の業務負担・人員不足 休みが取れない、メンタルダウン、そもそも通常事業から定員削減、感染症専門家の育成」「保健所の苦労、診察拒否、入院拒否、保健所に責任を求める患者や医療機関に理解されていない、多くの問い合わせが自治体や医療機関に丸投げで市民との板挟み、叱責罵倒などでモチベーションが保てない」「搬送・風評被害、ご遺体の対応、取材やSNSによる差別等」
 と。

 我が国公衆衛生行政の実力は「コロナ」で露呈したものの、そんなとき決まって引き合いにされるのが海外比較。むろん医師数、看護師数、ベッド数などの比較は大切だが、肝心の「医療に辿り着けないひと」が存在することに、メディアの反応はどうにも鈍い。即ち、医療を必要とするひとにとって医療に「繋がらない」という事実は、明らかにシステム難民をつくっていることになるからだ。
 それは「コロナ」ばかりではない。自宅で、施設で、ホテルで待機くださいと「医療にかかれない」のだから尋常ではない。なかには、入院できずに「ひとり、死んでいた」との報道も。連日、ニュースやワイドショーで地域別感染者数や死者数のデータ紹介が、また医療介護部門の深刻な現場レポートがあるも、そこに「医療にすがるひと」の存在に反応がすこぶる「のろい」のは、なぜか。

 入院先の医療や、高齢者介護の現場では、日夜懸命に対応に当たるエッセンシャル・ワーカーの存在が頼りだ。それら救命部門や、支援機関相互の連携の「司令塔」は保健所だが、その「司令塔」自体が「コロナ」が始まる以前から <崩壊前夜> にあったことは知る由もないか。
 身近なはずの保健所は「行政改革」の名の下で縮小の憂き目に。「業務の見直し」とは、とどのつまり「統廃合」(1994年保健所法)だった。全国の保健所は1996年度までは800ケ所を超えていたが、97年度から母子保健サービスが市町村に「移管」を理由に2020年度は469ケ所に半減。常勤保健師は18年度に約8500人、単純計算で1ケ所あたり約18人は地域住民のガン、脳卒中予防や自殺対策を含む精神保健など、その対象と守備範囲は依然広いままだ。

 思いかけず「コロナ」で、我が国の、公衆衛生面の今日的な欠陥が明らかになった。
 我が国の保健所誕生の起源は「スペイン風邪」(1918年から1920年、世界人口当時18億から19億人、うち5億人が感染、推計2000万人が死亡と伝わる)とよばれた「疫病」にあった。「コロナ」と似た感染症の「第一派」「第二派」(大正7年から9年)で我が国の死者数は推計50万人とされ、自身も罹患した原敬首相(当時)は「衛生行政の転換」へ大きく舵を切り、その後の保健所誕生につながったという。

 国は「コロナ」対策に「さまざまな目詰まりがあって」と釈明したが、元を糾せば公衆衛生そのものを自治体へ縮小前提の丸投げがあったから。そのせいで現場に混乱を拡大させ、国民は唯々あっけにとられた構図だ。
 皮肉にも「コロナ」は「スペイン風邪」の再来といわれたが、その苦い教訓の「記録」はいまに生かされたのか。
 歴史の示唆を見過ごしてきた国、行政の責任は、いまさらながら重い。
 「想定外」の繰り返しは決して許さない。たまたま「3.11東日本大震災」から10年。国民の <いのち> に関して危機管理なき ”愚図る政治” が続いている。

事務局(小林)2021/03/06 20:44:43

編集日記:幸せの国の声とは

2021年3月6日/執筆者:坂田映子 教授(星槎大学 共生科学部)

 青森県に『津軽よされ節』という民謡がある。『津軽じょんから節』と違い、ややゆったりした趣のある曲だ。津軽三味線の名手「高橋竹山」の演奏で聴くと何とも言えない郷愁を誘う。劇場舞台で津軽三味線を最初に独奏したのは竹山であった。もともと津軽三味線は、津軽民謡の伴奏役であったのだが、竹山が人と同じことはしたくないという気風をもち、独奏に至ったという。スタンダードナンバーは、「じょんから節」「あいや節」「よされ節」などの民謡が主な曲目だ。その旋律をどのように自分流に即興的に演奏するかというところに津軽三味線の醍醐味がある。
 津軽三味線の即興演奏に唸りが生じてくると、モンゴルの「シャンズ」(リュート属)に近い音色になり、ブータンの「ダムニエン」(リュート属)の弾き語りにもよく似てくるのが不思議だ。現代では、竹山のような洗練された技法をもってしても、民謡は遠のいていく。

▼Jigme Drukpa「ジグミ・ドゥッパ」の演奏は神話的
 ジグミ・ドゥッパ氏(ブータン唯一の民俗音楽家)は、ダムニエンだけでなく、ブータンフルート(気鳴楽器)、ヤンシン(楊琴)のすべてを演奏するのだから驚きである。ジグミ・ドゥッパ氏の演奏収録CD(1998 Jigme Drukpa Endless song from Bhutan)全9曲の様式は、大きく2つに大別される。自由リズムでたっぷりと歌われる「ジュンドゥラスタイル」と、拍節やリズムがはっきりしている「ベ―ドゥラスタイル」である。中でも、ベードゥラスタイル『Rangyul Lumpa(ランギャル ルンパ)』の曲は、牧歌的で神秘的だ。
 『ランギャル ルンパ』は、西にいても東にいても国を愛し、家は最高の場所であるという意味を伝える旋律に作られている。ブータンフルートと思われる楽器で演奏され、拍節は明確であり、各フレーズ間上に、装飾音が散りばめられている。日本の律音階にとても良く似ており、旋律は何度も反復し覚えやすい。まだ訪問していない国なのに、ブータンの山岳地帯の風のそよぎを感じるほどだ。
 ジグミ・ドゥッパ氏によれば、このような心地よい音楽も、急速に進む欧化の波に浸食されつつある現実があるという。(2019 第1回「幸せの国からの聲」実行委員会記事)。

▼僧侶たちのヴォイス、声明(しょうみょう)
 対照的なのは、ブータンの声明だ。驚くばかりの音程の低さと太く深い音色は衝撃的だ。まるで、コントラバスとチェロが振り絞って地震の唸る音を再現しているかのようだ。日本にも声明は存在し、読経がラウンドして音の重なりを作っているというように理解していたのだが、いわゆるチベット仏教から伝播されたブータンの声明は、そのような浅い解釈では理解できない。音楽的には読経の発声法が全く違うということだ。
 繰り返し聴くと、発声は、複式で深く息を吸い、胸部と声帯の奥を振動させる。中間部や高音部の音域を使わず、通常の頭蓋骨に音を当てるというより、胸部・腹部、脊椎に音を当て上体を共鳴体にし、大地に向かって音を轟かせるような発声法である。発声した音そのものは、地から天へ振動を波紋の輪のように広げ、「倍音」を作り出す。これは、モンゴルの「ホーミー」のようでもある。
 声明の旋律や音の重なりは次のように進んでいく。➀リーダーが唱え、続いて、全僧侶が低音で地鳴りのような音で唱える。②中低音を担う僧侶は、声を頭蓋骨に当て、すぐ低音に戻る。重低音は継続し、やがて平均化する。③僧侶自身は、それぞれの音域で唱え、その一体化した声量はダイナミズムを作る。④声明の途中、メタル系鈴や、シンバルの音を合図に変化が開始される。⑤フィナーレは、拍節が整えられ大合唱になる。鈴、シンバル、ツリーチャイムのような媒体が激しく鳴り響き終了する。(2021.3筆者のアナリーゼによる)
 声明の全体構造には「序破急」のようなまとまりが見られ、まさしく、生と死の間にある紙一重の音楽ではないのかとさえ思えてくる。

▼歌舞(うたまひ)は、声明とのヒュージョン?
 仏教音楽「カーラチャクラの奉納舞踏」(2017、ダライ・ラマ法王により執り行われたもの)VTRを鑑賞してみる。カーラチャクラでは、大勢が心をひとつにして祈ることによって、個人の幸福を越えた社会の調和、世界平和といったより普遍的なかたちの影響力を発揮するものと信じられている。
 イントロは、長いホルンの重低音と強いジンバルを打ち鳴らす場面から開始される。次に声明が歌われる。声明は低く深い音で持続音を保つ。それにのせて、男性による舞踏が開始される。舞踏というより歌舞の方がふさわしいともいえよう。まるで、日本の宮内庁楽部の雅楽の舞いと同じような足の進め方に驚かされる。続く女性たちの歌と踊りは妖艶である。女性たちの声は、京劇の「ミエーッ」というかん高い発声と同じ響きを作り出している。ダムニエンの演奏が加わり、ソロで男性が歌い出す。その間、ずっと声明は鳴り響き続ける。あらゆる人間の煩悩を払うかのような声明は、功徳への祈願や現世の純化、平和を願う祈りであるに違いないのだが、声楽曲ように聴こえてくる。
 クライマックスは、すべての音や音楽、踊りが混然一体となって乱舞し終結する。これらのパフォーマンスは、音楽美というより、魂の歌舞としか表現する言葉が見つからない。

▼「声明聖歌」を伝えよう
 世界的には、音楽は宗教と密接に結びつき発展している。キリスト教の教会音楽、イスラム教の典礼音楽、仏教の法要音楽、ヒンドゥー教の賛歌などの音楽文化はその例である。
 仏教音楽声明も、倍音の音楽的価値は高い。だが、ブータンの人々は、進化する情報社会が、この「倍音聖歌」をかき消そうする危惧を感じているという。日本の伝統音楽や民謡もまた、同じ悩みを抱えているといってよい。まして、今や日本は、お経やお勤めをネットで伝えているという話も聞く。これも時代だろうか。
 今後、これらの音楽文化が消滅しないよう努力することもまた、目的にしなければならないだろう。日本の宮内庁学部の音楽家たちは、雅楽と西洋音楽を同時に学んでいるという。二重音楽性は、音楽性が一つでないことを前提にしている。つまり、両方を獲得していくこともまた、生き延びる道になるという考え方ではないだろうか。
 今年、ブータンからチベット仏教僧侶を招聘し、「倍音聖歌」を広げるため、ブータン声明のコンサートが企画されていると聞いている。本物に触れてみよう。

事務局(小林)2021/02/17 12:09:03

メディア時評
「新しい生活様式」が怖い!?

2021年2月16日/執筆者:山口道宏 教授(星槎大学 共生科学部)

 「ハグ、ハイタッチ、握手もいけません」もまた、国境を超えた。
 「----2歳の子がマスクですから」と公園の砂場で子どもを見やる若いママがぽつりとそういった。どうやら幼児にまで「マスク文化」が定着したらしく、だれもが複雑な思いで「新しい生活様式」の始まりを知った。100歳の爺もマスクをするから、いまや一億総マスクの時代。国は「ウィルスと共生する社会」と言い放ったなら、大人は子どもにどう諭したらいいのか。
 「仲良くおててつないで」「お話をいっぱいしましょうね」から「てはつながないこと」「ゴハンのときも黙ってね」は、将来の語り草になるかもしれない。

 「新しい生活様式」が話題だ。ジャーナリストの斎藤貴男はこう書いている。「私は新型コロナウィルスよりも、これによって導かれる新しい生活様式のほうが恐ろしい。とめどなく肥大化していく権力、草の根から湧き溢れてくる「自主警察」。インターネットを駆使できない者は生存権さえ否定される時代にされてしまった。安全性が確認されていないワクチンの強制接種も時間の問題だ。だが人間は、政治権力と巨大IT資本に都合よく操られるだけの生き物では断じてない。私は徹底的に抗う」(2020.8日本ペンクラブ)。

 「ステイホームだ」という。ひとにとって外出は「必要な営み」だけに潜在的な孤立感、喪失感は大きい。生活の質の低下は計り知れず、「外出自粛」が長引けば恐怖は感染ばかりでなくそれ以外の死者数も増加しているから、いやはや滅入る。
 突然のくも膜下出血、心筋梗塞、脳梗塞をはじめ高血圧、高脂血症、糖尿病など基礎疾患を有するひとへの影響は大きい。
 「コロナ関連死」とはコロナ感染以外の死者を指すが、地震発生後に発生した二次被害を思い起こすと理解が早い。それは、政府が主導する「ステイホーム」と「テレワーク」に特徴づけられる「生活様式」の変化が人間の健康に悪影響を及ぼす、と伝えるレポ―ト(『選択』2020.8 コロナ関連死 米国医師会雑誌 JAMA)も登場するから気が気でない。
 食べ過ぎ、座り過ぎ、運動不足にみる「コロナ肥り」「筋力低下」に、加えてアルコール依存、受診控え、検診遅滞など指摘される。長期になればその様相は剣が峰に立つ。一向に終息の目途がないところでPCR検査は「劣等国」のまま、手応えの成否をみることなく「新しい生活様式」の同調を鼓舞するだけに、感染よりもそのリスクが刻まれないか。

 施設長は一計を案じた。「嫌がるんですけど、つけてもらっています」と、認知症利用者が間違わないようにマスクに名前を書いていると話す。
 「生活様式」は福祉文化そのものゆえに大きな関心事だ。「新しい生活様式」にぬくもりはあるのか、癒しはあるのか。ひとは新しい人災に馴れるのか、それとも新たな分断が生まれるのか。

 感染防止に「外出自粛」や「休業要請」は、ひとのこころにどんな影響を与えるのか、コロナ禍のメンタルヘルスが気にかかる。山脇成人(日本脳科学関連学会連合前代表)は、次のように警鐘を鳴らした。「もともと新型コロナ前から、うつ病患者は127万人と急増しており、その予備軍は膨大な数に上る。今回の長期化するコロナ禍は、感染恐怖、外出自粛、失業など経済不安による慢性ストレスを引き起こし、水面下の膨大なうつ病予備軍を一気に発症させることが容易に予測される。さらに、減少傾向にあった自殺者数の再急増が懸念される」(2020.7.16毎日新聞)
 非日常が日常になったとき、案の定こころも身体も後遺症が尾を引き、不安のなかでひとは状態像として孤立の日々という図式が垣間みえてくる。被害は社会的弱者をじわりじわりと襲う。こころを病むことと貧困との関係性は根強く、所得格差が健康格差を導くだけに、とっくに「自助、共助、公助」が白々しい。

事務局(小林)2021/02/17 12:06:17

メディア時評
「トリアージ」という名の「生命の選択」は正義か。

2021年2月16日/執筆者:山口道宏 教授(星槎大学 共生科学部)

 東京・田中杉並区長の発言が波紋をよんでいる。
 コロナ治療で崩壊する地域医療を前に「トリアージは医療現場に押し付けず東京都がガイドラインを作るべき」 と田中良杉並区長が小池百合子都知事に申し入れた(2021年1月8日) という。保健所はバンク状態、やむなく「自宅療養」は増え「隔離」も「入院」にも至らない悲惨な実態を目のあたりにして、区長として、都知事から国に「積極的な感染症対策」の働きかけを求めたことのようだが、どうか!?
 苦渋の申し入れも、医療資源の限界を理由に「生命の選択」を知事の決定でされたい、と迫ったかのように伝えられる。
 つまりは発言の趣旨そのものが「-----トリアージの決定は医師か都知事か」?? であったなら、前提となるは「生命の選択」 ありき! で、当然ながら不安を増幅した杉並区民は存在する。

 こんな投稿記事がある。
 「------既に舩後靖彦参議院議員が批判している。「高齢者や難病患者の方々が人工呼吸器を若者などに譲ることを「正しい」とする風潮は、「生産性のない人には装着すべきではない」という、 障害者差別を理論的に正当化する優生思想につながりかねません。今、まず検討されるべきことは、「誰に呼吸器を付けるのか」という判断ではなく、必要な人に届けられる体制を整備することです」(「新型コロナウイルスの感染拡大に伴う「命の選別」への声明」 2020年4月13日)。これに対しては現実に不足している場合の回答にはならないとの反論が予想される。命の選別は現実に起きている問題である。新型コロナウイルスに感染し、入院する必要があっても、病床の都合で入院できない人が増えている」 (以上 林田医療裁判 杉並区長の命の選別の問題 2021.1.16より)

 とうとう我が国でも医療現場の混迷に「トリアージ」という言葉が躍った。
 災害医療の現場で患者の重症度に応じ医療・治療の優先度を決定すると解されるも、その「選別」は「医療資源は有限だから」を理由にする。つまり医療の需給バランスから需要を縮小、抑制する働きにもなり、そこでの線引きは不幸にも感染した患者(家族)に対し、医療者が「医療の中断」を迫るから、医療に辿り着きたいものには、医療からの排除になる。
  
 むしろ問題の根源は、ゆとりなき医療資源のまま放置した(する)国策にあった。 
 また医師には医師法で「応召義務」が課せられ、原則として患者選びはしてはならないという生命倫理、医師の職業倫理がある。
 感染症は高齢者や既往症をもつひとほど危険とされる。患者に認知症があったら、ひとり暮らしだったら、周囲への気兼ねなどないか、懸念は拡がる。当事者の意思表示が十分でなかったら、その誘導はますます<棄老の第一歩>とよぶに相応しい。
 「---生命の選択もやむをえない」を意味するそれは優性思想と通底している。「感染」「障害」「終末期」を理由に、我が国でも「ハンセン病」「旧優生保護法」「安楽死」など、ひとの生命倫理に関わる論争では、医療が国策のもと殺人の実行犯になった歴史が甦る。
 「トリアージ」とは「コロナ」を利用した姥捨てなのか。

 「コロナ」による医療崩壊で搬送困難事例が増えている。1月11日から17日の1週間で全国3.317件は前年比2倍以上という(総務省)。搬送拒否でやむなく自宅で、介護施設で「療養」というケースも多く「助かる命も助からない事態」(医師)になった。
 ある特養の施設長(都内)は、深いため息を吐くと、
 「とても気の毒でした。持病もあった方でしたが最後まで入院先が見つからなくて。施設内に留まるしかなくて。体調をくずした3日後にお亡くなりになりました。無念だったでしょう。もの静かな80代の男性でした」

事務局(小林)2021/02/07 09:54:18

「バイデン外交始動」

2021年2月5日/執筆者:佐々木 伸 教授(星槎大学大学院 教育学研究科メディア・ジャーナリズム研究コース)

対中関係改善を目指せ
 バイデン米大統領が4日の外交方針演説で、「同盟関係を修復し、世界に再び関与していく」と宣言したことを支持したい。
 米国第一主義を掲げ、同盟国を軽視したトランプ前政権と決別し、米国が国際舞台で指導力を発揮していく姿勢をあらためて打ち出したからだ。
 特にバイデン氏が「最も重要な競争相手」である中国との関係について、条件付きで「協力する用意がある」と明言したことは関係改善に前向きな姿勢を示したものとして歓迎する。
 バイデン政権が発足してから2週間余り。バイデン氏は大統領令を連発して前政権の政策を否定し、政権交代を国民に強く印象付けてきた。
 バイデン氏の外交の基本的な方針は第一に、孤立主義に傾斜した前政権から脱却し、同盟国と連携した国際協調を重視していくということだ。温暖化防止の国際的な枠組み「パリ協定」へ早々に復帰したのも、その決意を示したかったからだろう。
 第二に、ロシアのプーチン大統領らの独裁的手法を認めたトランプ氏とは異なり、世界の民主勢力の強化を目指すという点だ。民主主義や人権といった伝統的な米国の価値観外交への回帰とも言えよう。
 バイデン氏が外交方針の中で、中国やロシアのような「専制主義」下での人権侵害を容認しない考えを示したのはこうした観点からだ。ロシアに対しては、拘束された反体制指導者ナワリヌイ氏の即時釈放を要求、クーデターを起こしたミャンマー国軍には「責任を取らせる」と警告した。
 同氏はこの路線に基づき、年内に「世界民主主義サミット」開催を計画しており、中国やロシアの反発を招く恐れもある。
 新政権にとって、喫緊の外交課題は何といっても中国との関係改善だ。
 米中関係は前政権による「どう喝と制裁」政策により、「新冷戦」というレベルにまで険悪化した。同氏は外交方針で、人権侵害の他、中国の知的財産窃取などを厳しく批判しており、当面は貿易分野を中心に対立が続く見通しが強い。
 だが、バイデン氏は「米国の国益にかなうのであれば協力する用意がある」と踏み込み、関係改善にシグナルを送った。今後新型コロナウイルス対策や気候変動問題などで両国の対話が促進する可能性が出てきたと言える。
 菅義偉首相はすでにバイデン氏と電話会談し、沖縄県・尖閣諸島が日米安保条約の適用対象であることなどを確認した。 
 同氏は日本を「最も近い友人」の1人としており、菅首相がこれに応え、米中関係改善を側面支援するよう求めたい。

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