ーー星槎ジャーナルとはーー
 星槎ジャーナルでは、世の中の出来事や入り組んだ国際問題、複雑な人間模様など政治、経済、社会、教育、文化、科学、環境、スポーツなど森羅万象をテーマに、星槎の理念やジャーナリズムの視点から解きほぐし広く発信していきます。


ーー「星槎ジャーナル」のスタートについてーー
 このたび、大学大学院のホームページに「ジャーナル」を立ち上げ、スタートさせていただくことになりました。
 世の中の出来事や入り組んだ国際問題、複雑な人間模様など政治、経済、社会、教育、文化、科学、環境、スポーツなど森羅万象をテーマにの理念やジャーナリズムの視点から解きほぐし、学内外に発信していこうという試みです。

 過日、「ジャーナル編集委員会」(編集長佐々木)の第1回会合を開催し、取りあえず走り出すことにしました。走りながら考えるのか、という叱責をいただきそうですが、グループの広報の一助になればとも思っております。
 ジャーナル第1号は「わが身を見つめ直す時に転換しようコロナ禍、デマに惑わされるな」(佐々木執筆)を掲載しました。ちょっと長めですが、コロナ禍の中で、デマやフェイクニュースにどう対応したらいいのか、というのがテーマです。
 星槎グループ教職員の投稿を歓迎します。掲載に当たっては編集委員会の内規に従って決めさせていただきます。また編集委員会から執筆をお願いすることもあろうかと思いますので、前向きにご検討ください。

 「ジャーナル」に掲載する原稿につきましては、テーマを問いませんが、結果として、内容がの3つの約束などの理念につながったり、想起させたりするものであれば、一層歓迎したく思います。ジャンルはシリアスなものでも、エッセイでも、国際交流記や旅行ルポでもなんでもござれです。楽しく、ためになり、タイムリーという3つの「T」が原稿の1つの目安です。

 原稿の長さは400字詰め原稿用紙換算で1枚から10枚程度までと考えていますが、厳格には規定しておりません。掲載の頻度については不定期としてスタートします。

ジャーナル編集長 佐々木 伸
 

星槎ジャーナルー記事一覧

星槎ジャーナル[根記事一覧]
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事務局(小林)2022/09/15 09:04:03

「自然環境や多民族との“共生”の根拠を問う〜先住民族の視点から(2)」

2022年9月13日/執筆者:西原 智昭 教授(星槎大学 共生科学部)

当事者が述べる「共生」の是非
 社会科学の分野でも「共生」ということばが転用されて以来、人間同士の格差や差別をなくしていく社会を目標としていくことが人類の大きな課題となっている。「ひとりも残さない」をモットーとするSDGsに触発されてか、「共生社会」の実現は人類社会にとってキーワードのひとつになっている。

 ピグミーのような先住民族との「共生」はその中でも重要項目と言っていい。特に近現代の歴史の中で、世界中の先住民族は支配者民族あるいは国家から差別を受け、土地や文化、言語をも奪われ、甚大な人権侵害を受けてきたからだ。もともと国家の存在とは無縁に自然環境に依拠してきた先住民族は、強制移住や民族の分断なども経験してきている。そうした過去を顧みて先住民族の権利回復のために、国連も2007年に「先住民族の権利に関する国際連合宣言」を採択し多くの国が批准した。先住民族がこれまでの被差別の対象ではなくこの地球上で対等に生きていけるような、まさに「共生社会」の実現に向けた画期的な宣言といってもいい。

 北海道・白老には、日本ではじめての国立の先住民族博物館「ウポポイ」が開館した。「民族共生象徴空間」と名付けられている。それが和人と先住民族アイヌとの間の「共生」を象徴する場所であるというのだ。まるで「民族共生社会」の実現の場であるかのような印象を与えている。ところが実際は、その博物館があっても、日本も批准した「先住民族の権利に関する国際連合宣言」で約束されたはずのアイヌ民族への権利回復には程遠く、しかもそこで展示されている和人とアイヌ民族との間で起こった歴史記述についても和人の一方的な視点からの記述が顕著に見られる。博物館の名前とは別に「民族共生」とは大きくかけ離れているのである。

 「共生」という言葉が、社会的強者である和人側から発せられている点が問題なのである。ここでも客観的に判断できる「第三者」ではなく「当事者」が「共生」という言葉を発するところに無理があると考えられる。

「気候正義」との関わりで
 地球規模の気候変動が現実化している中、「気候正義」の実現こそが重要課題だと唱えられてきている。(1)1人当たりの温室効果ガス排出量が小さい途上国の人々が、1人当たりの温室効果ガス排出量が大きい先進国の人々よりも、より大きな気候変動による被害を受ける;(2)先進国の中でも、貧困層、先住民、有色人種、女性、子供がより大きな被害を受ける;(3)未来世代がより大きな被害を受ける、といったようなことは「不正義」であるからそうでない「正義」を目指すべきだと語られる。長い年月にわたり社会的弱者であった、しかも途上国に多い先住民族が気候変動による被害をより深刻に受ける可能性は確かであろう。だからこそ、そうならないための「気候正義」が地球規模で必要なのである。

 温室効果ガス排出の元凶である化石燃料の利用の抑制と放射性物質と常に隣り合わせの原子力発電に代わるものとして、自然再生エネルギーや蓄電池、電気自動車の開発・普及が促進されているのは周知のとおりである。しかしながら、再生可能エネルギーや電気自動車などハイテク製品開発による気候変動緩和の実現には、これまで以上に地球上の希少金属などが必須となり、その開発は一層加速度化されている現状がある。そうした地下資源は熱帯林地域に多く、その採掘のために熱帯林という自然環境は破壊され、そこに依拠してきた先住民族は従来からの居住場所を失う。こうした事態は民族「共生社会」とは相反するものではないか。自然との「共生」とも相克する事態が蔓延(まんえん)している。

 国土の狭い日本では巨大再生可能エネルギーは人口密度の低い地方に設置され、それが都市で売電され都市での温室効果ガス排出削減に繋げる(つなげる)という政策がある。これを環境省は「地域循環共生圏」と称した。ところが実際は、地方で自然環境が破壊され絶滅危惧種を含み生物多様性は喪失、土砂崩れの危険性や景観被害などが生み出されている。「共生」とは名ばかりで、これも「第三者」視点を欠いた、地方を十全に配慮しない経済的強者である都市圏中心の当事者発想である点が問われる。昨今は、先住民族の住む土地に事前協議もなくこうした再生エネルギーが設置される事例が海外では目立つようになってきており、ここでも先住民族との「共生社会」とは縁遠いものとなっている。

 気候変動対策は温室効果ガス削減だけではないはずである。自然界や多民族との「共生」に大きな課題を残している新規ビジネスとしての再生可能エネルギーや電気自動車の開発は、真の意味での「気候正義」を目指す上で再検討の余地があるだろう。なによりも温室効果ガスの吸収源である自然環境の保全とその自然環境を担保する生物多様性保全、そしてその自然環境で長大な歴史を通じて永続的な保全を担ってきた先住民族と彼らの知恵の継承と人権の回復をまずは念頭に置くべきであろう。環境NGOなどに見られるような過剰な再生可能エネルギーや電気自動車の普及キャンペーンは、「気候正義」と称して行われているケースが少なからず見られる。しかし、先住民族や地方の住民(日本の場合)などの社会的/経済的弱者や自然界が犠牲になっているとしたら「気候正義」とは言えないであろう。

 本小論は2022年6月4日に開催された「第14回日本共生科学会(オンライン大会)」でのシンポジウム「人と国際社会との共生―その課題と展望を探る」にて、シンポジストとして同じ題名で筆者が話題提供をした内容をベースにして書き下ろしたものである。

事務局(小林)2022/09/14 09:45:18

「自然環境や多民族との“共生”の根拠を問う〜先住民族の視点から(1)」

2022年9月13日/執筆者:西原 智昭 教授(星槎大学 共生科学部)

「共に生きる」ということ
 「その黒いアリに噛まれる(かまれる)と痛いぞ」と先住民族ピグミーに教わる。コンゴ共和国北東部の原生林を先住民族ピグミーと歩いていたときのことである。よく見ると、体長が1cmほどもある何匹もの黒アリが小さな木の根っこの周りをうろうろしている。その木にも上っていて、幹や枝の先端までその多くが歩き回っていた。そのピグミーは「木でも触ろうものならパンボはすぐに噛みつきに来るぜ!」とぼくに警告する。この植物は現地語で“パンボ”と呼ばれるその黒アリに枝の中の一部を巣として提供している、その代わり、パンボは植物の葉などを食べに来る小動物や昆虫を鋭い鎌で噛み付いて追い払いまた退治するとピグミーから教わる。

 これが生態学でいうところの「共利共生」という生物種同士の関係の一つだなと思い当たる。生態学など学んだことのないピグミーは、長年に渡る森の中での経験と伝統知から野生生物種同士の関係を理解していると言える。異なる生物が「共に生きている」現場を十全に知っているのだ。

 こうした「共に生きている」両者には優劣も格差もない。その関係性は「対等」であると言えるし「微妙なバランス」と呼んでもいいのかもしれない。両者とは独立した「第三者」のみがその関係性を客観的に捉えられる。外部「観察者」としての生態学者がそれを「共生」と称する。生態学者ではないピグミーは「共生」という概念はなくそのことばすら彼らの言語になくても、伝統知に基づいた「共に生きる実態」として見事に認識していると言える。ぼく自身もそれを教科書ではなくピグミーから学んだのだ。

オレたちの森を返してくれ…
 ある場所を先住の土地として長年に渡り済み続けてきた先住民族は、開拓や資源開発ほか環境保全や学校教育など多様なプロジェクトの名目で外部から入植してきた資本を持つ支配者民族に追い出されてきた。とりわけ開発事業は先住民族への経済支援を謳う(うたう)と同時に、彼らがもともと依拠してきた自然界を消失させるということでもあり、そこでの狩猟採集といった伝統的生活様式や動植物など自然界に関する伝統知の喪失にも繋がる(つながる)。

 一方、学術目的とはいえ外部から入ってきた研究者は先住民族そのものを、あるいはその骨や血液を含む身体や文化遺品をも「研究対象」としてきた。そこには学術を正当化する基盤から、「上から下目線」の発想が無意識的にでも働いている場合も否めない。また野生生物の研究者が自然界をよく知る先住民族を研究アシスタントとして雇ったり、エコツアーこそが自然環境保全と経済の両立を可能にするという考えから先住民族を雇ったりした結果、彼らコミュニティーの内部で従来存在しなかった経済的格差を作ってきている事例は枚挙にいとまがない。

 また、野生生物保全や森林保全は地球規模で第一義的に大事だとの主張のもと、外部の人間が国立公園や保護区を制定することは多々ある。しかしその結果、元来その土地に住んできた先住民族への土地侵害や人権侵害をもたらしてきたことも少なくない。

 そして、いまやどんな奥地にも学校が建てられ、公用語ほか算数など初等教育が提供されている。「識字率を上げる」ことが第一義的に重要と考える国際支援プロジェクトなどがそれをサポートする。ところが先住民族が每日学校に通わざるを得ない事態は、本来彼らが依拠してきた自然界での生活様式との乖離(かいり)をもたらし、世代を通じて継承されてきた自然に関する伝統知が失われる結果を現実的にもたらしている。さらに、支配者民族の子供と同じ教室にいざるを得ない先住民族の子供はそこでいじめに会い差別を受ける。

 年長のピグミーのひとりは「外部からいろいろな連中がやってきてはなんだかんだ言って来ているけど…はっきり言ってどうでもいい!オレたちの森を返してくれ」と言う。「(今の貨幣経済の中)お金はある程度必要だけど、オレたちが依存してきた動物や植物はいったいどこへいってしまったのだ」と嘆く。そして「子どもたちが学校に行っていろいろ学ぶのはよしとしても、もうオレたちの伝統的な知恵は継承されなくなるんだよな…子どもたちのこれからが心配だ」と嘆く。

 こうした事態は、先住民族と「共に生きていく」共生社会とは相容れない現状であると言えまいか。いずれも、資本を持つ支配者民族である当事者が一方的に彼らと先住民族との「共生」を「上から下目線」で目指そうとしているからではないか。そこには独立した「第三者視点」が決定的にない(続)。

 本小論は2022年6月4日に開催された「第14回日本共生科学会(オンライン大会)」でのシンポジウム「人と国際社会との共生―その課題と展望を探る」にて、シンポジストとして同じ題名で筆者が話題提供をした内容をベースにして書き下ろしたものである。

事務局(小林)2022/08/12 10:14:25

評論「米下院議長の訪台」

2022年8月11日/執筆者:佐々木 伸 教授(星槎大学大学院 教育学研究科メディア・ジャーナリズム研究コース)

◎中国の過剰反応を問う
 ペロシ米下院議長(82)の訪台に対抗し、中国が台湾攻撃を想定した軍事演習を実施したのは日本を含めた東シナ海周辺の緊張と偶発的な衝突の危険性を高めるものとして看過できない。
 しかも中国が弾道ミサイルを日本の排他的経済水域(EEZ)内に撃ち込んだことは日本と、沖縄などに基地を置く米国に対するどう喝であり、中国の過剰反応を危惧せざるを得ない。
 中国が今後、同種の演習を常態化させる懸念は十分にある。自ら大国を名乗るならば、地域の平和と安定を図るのも大国としての責務であることを忘れてはなるまい。中国は武力による威嚇を直ちにやめ、対話によって冷静に対処するよう要求する。

▼中国の怒りの理由
 ペロシ議長は大統領権限の継承順位が副大統領に次ぐ2番目の立場だ。そうした重要人物の訪台は米国がこれまで認めてきた「一つの中国」の原則をないがしろにし、台湾独立の動きを助長しかねない。これが中国の怒りの根本的な理由だろう。
 議長は元々、学生らが弾圧された天安門事件後に北京を訪れ、中国批判を展開した筋金入りの反中強硬派で、一段と中国を刺激した。
 絶対に譲歩できない「核心的利益」を侵されたとする中国側の反発は激しかった。中国の度重なる警告を無視して、米政府が議長を訪問させたと非難。台湾を包囲した大規模な実弾演習を実施、ミサイルを台湾上空に飛ばし、現状を変更するように艦船が台湾海峡の中間線を超えた。軍事分野などでの米国との協議も中止した。

▼習近平指導部の幼稚性
 習近平国家主席が強硬姿勢を示している最大の理由は総書記3選を決める共産党大会を控え、「米国に屈した」との国内批判を封じ込めなければならなかったからだ。行政府のトップであるバイデン大統領が3権分立制度下の立法府の長の自由に制限を掛けることができると思っているなら、その幼稚性にあきれ返るしかない。米国や日本は共産党1党独裁体制の中国ではないのだ。その上、自分たちの意に沿わないからといって武力で威嚇するのは言語道断の振る舞いと言わざるを得ない。

▼バイデン大統領に打撃
 バイデン大統領にとっては、先月末に習氏との首脳会談を実現するなど米中関係が改善傾向にあっただけに今回の事態は痛い。歴史的なインフレ抑止対策の一環として、対中関係の改善を望んでいたからだ。
 大統領は議長の訪台について、「米軍は訪台が良い考えではないと見ている」という微妙な表現で中止を望み、政権の高官らが舞台裏でその可能性を探っていた。しかし、公の形で議長の台湾訪問に反対することはできなかった。反対すれば、中国に「弱腰」との批判を受け、それでなくても劣勢にある11月の中間選挙で野党共和党を利することになってしまう。

▼台湾有事は日本有事
 米国は今回、台湾から距離を置いて空母を待機させ、予定していた大陸間弾道ミサイル(ICBM)の発射実験を延期するなど抑制的な対応を取った。だが、偶発的な衝突の危険性は常にある。台湾有事は日本有事でもあり、私たちが戦争に巻き込まれる危険性があることを認識しておかなければならない。
 米中関係が当面、険悪化するのは必至だろう。双方とも自制を働かせ、これ以上緊張が高まらないよう対話を続けなければならない。

事務局(小林)2022/07/22 16:46:56

編集日記:戦争は最大の人権侵害-ウクライナ戦争の長期化を憂う

2022年7月22日/執筆者:坂田 映子  教授(星槎大学 共生科学部/大学院 教育学研究科)

 2022.2.24、ロシア軍がウクライナ侵攻を開始して5か月が経過した。これらの報道を聞くにつけ、早くこの戦いを止められないのかと鬱々とした日々が続く。中でもロシア軍がキーウ州市民に、恐怖を与える戦術として性暴力を行使したことには許しがたいものがある。母親がわが娘の前で性暴力に遭うというあまりに痛ましい事例報告(読売新聞6.6国際)に、ここまで冷酷非道なやり方があるのかと言葉が出ない。ウクライナ人権団体や検察がロシア軍兵士らの訴追手続きを進めているというが、被害者はかなりの数に上るという。
 20世紀に2度の世界大戦を経験し、我々は、戦争は最大の人権侵害であることを学んだ。植民地主義の帝国もほぼなくなり、ソビエト連邦も1991年に自壊している。当時、民主主義・法の支配と人権を重視したヨーロッパ秩序が構築されたことは周知のことだが、世界の多くの国が人権を唱えるも、集団虐殺、暗殺、教育を受ける権利の侵害、人種差別、女性差別など、留まることを知らない。何故、このような紛争・戦争は、後を絶たないのか。何故、市民は生活や人権を壊されなければならないのか。

▼人権と国家安全保障
 冒頭、戦争は最大の人権侵害だと述べたが、国際社会における人権の国際保障の始まりは、第1次世界大戦後、宗教活動の自由や民族言語の使用の自由、民族言語による初等教育の自由など少数民族の権利とその保護に遡る。民族問題が国際紛争の主たる原因となり、少数民族の保護が戦争予防の課題に浮上したことから 、国際社会は少数民族国際保護制度を確立し、民族紛争の予防に努めた。第2次世界大戦後、国連を中心に人権尊重の国際平和を構想したが、人権尊重の国際平和秩序をつくる過程で、人権尊重の平和への取り組みが多難であることが判明した。サウジアラビアなどのアラブ諸国は言うまでもなく、ロシア・ 東欧諸国なども基本的人権の尊重にはかなり消極的だ。「基本的人権が尊重される平和な世界を戦争目的に掲げ、連合国を勝利に導いた英米両国は、植民地支配や国内の人種差別問題を追究されることを恐れ、国連での人権問題にあまりふれない」(国際問題 No. 704、2021)という報告でも述べられているように、米ですら遠ざけている。
 ウェッジ・インフィニティ(2022.7.13)に、「石油とエネルギーが人権に勝った」との指摘があり、「米、バイデン大統領が理念よりも現実を選択した」(佐々木伸)という論評があった。ロシアのウクライナ侵攻の影響で、原油価格が高騰し、インフレが続く米国民の不満は収まらない。これまで人権重視を掲げ、サウジアラビアを批判してきたバイデン政権が原油供給量を増やすため、サウジアラビアと再び関わることになったが、これには、人権問題で譲歩したとの見方が強い。国家の安全保障が優先された結果であることはいうまでもない。
  
▼人権の後退 
 1992年の国連総会では、少数者の権利宣言(国連総会決議47/135)を採択し、 それまで認めなかった少数民族問題への取り組みを宣言した。続いて93年に、ウィーンで第2回国連人権会議を開催し、94年、国連開発計画(UNDP)には「人間の安全保障」への取り組みを打ち出し、1995年、欧州諸国は少数民族保護を目的とする欧州少数民族保護枠組条約を採択、その中で文化的権利、民族アイデンティティを共有する国際移動者の自由を規定した(国連広報センター2021)。だが、少数民族の自治を認めれば、さらなる分離独立を刺激し、それが他地域に波及するという懸念から、旧ユーゴスラビアから分離した国や、フランス、スペイン、ギリシャ、トルコなど、少数民族を抱える国々は、少数民族の権利拡充に反対し、中国を含めたアジアの多くの国々も、人権尊重と少数民族保護の普及に抵抗した。その後、中国、中央アジア諸国、ロシアを中心に、上海協力機構SCO(Shanghai Cooperation Organization:中国とロシアが主導する地域協力機構)に8ヵ国が結集しているといわれるのも、人権と民主主義のグローバル化への抵抗のあらわれではないかと考えられよう。
 世界人権宣言は一昨年70周年を迎えたが、国連の主要な地位を占めている安全保障理事会の5つの常任理事国を含めた多くの国連加盟国が、国の内外で「人権及び基本的自由を尊重する」という条約を破り続けている。とりわけ、国連「幹事」格であるロシアが国連憲章を踏みにじり、ウクライナ侵攻を開始したことは信じがたい事態であり、このショックは、人権を大きく後退させたといわざるを得ない。国連憲章を自ら破る国が、安保理で拒否権を持っているような国連の実態は、もはや時代にはそぐわない。「人の国に触るな、邪魔するな」では、世界平和をどう維持し、世界中の人々の生活をどうよくしていったらよいのかなどの解決には、役に立たない。ロシアがいまだ独裁体制の強化に向かっている限り、人権と国家安全保障の相克は止むことはないであろうし、国連そのものも問われている。

▼ウクライナロシア後の世界
 多くの人が今回の侵攻について、21世紀の規範に照らしてありえないという評価をしている。けれども、21世紀はまだ22年しか経っていない。ウクライナにおける展開は、衝撃的であるが、これまで、占領、女性・子どもを含む市民に対する無差別攻撃、人権蹂躙、難民化といった事態は、イラクやアフガニスタン、パレスチナでも恒常的に行われており、今に始まったことではない。昨年5月、パレスチナのガザ地区では、イスラエル軍の空爆と砲撃で、子ども66人を含む250人あまりのパレスチナ人が死亡したことは記憶に新しい。キーウやマリウポリで起きた人権の剥奪は、常に世界中のどこかで繰り返されていることを忘れてはならない。
 21世紀は、果たして進化の道を辿っているのか、破壊の道を突き進んでいるのか疑心暗鬼に駆られる。ウクライナロシア後の世界は、無秩序と混乱の冷酷な世界でなく、できるだけ多くの人々が自由と人権保障のもと、安定した生活水準を保てる文明世界でありたい。

文献
参考文献は、新聞・UNIC情報誌、JIIA研究レポート・WEB情報誌から得たものである。
特に、国連広報センター(UNIC)WEB情報、国際問題研究所「中東・アフリカ」研究会 FY2022-1号、No. 704(2021)、WEB情報誌「ウェッジ・インフィニティ」(7/13)、読売新聞「6月~7月国際」を頻用している。



事務局(小林)2022/07/11 10:50:45

評論「米最高裁の中絶判決」

2022年7月8日/執筆者:佐々木 伸 教授(星槎大学大学院 教育学研究科メディア・ジャーナリズム研究コース)

◎司法を政治に利用させるな
  女性の自己決定権の後退を憂慮

 「人工妊娠中絶の憲法上の権利を認めない」とする米連邦最高裁の判決は米内外に大きな衝撃を与えた。バイデン大統領が「悲劇的な間違い」と批判、各国首脳らも懸念を示すなど、女性の自己決定権を後退させる判断だったことは否めない。
 背景には最高裁の保守化があるが、司法が政治に利用されているとの疑念をも生じさせた。最高裁が政治色を強め、社会の分断と対立が深まることを憂慮せざるを得ない。

 最高裁が中絶を容認したのは1973年の判決で、約半世紀ぶりにその判断を覆した。今後は中絶の規制は各州に委ねられるが、全米50州のうち保守派が優勢な半数で制限される可能性がある。世論調査によると、国民の61%が中絶を合法としており、米社会にほぼ定着していた医療行為だったというのは大半の国民の認識ではなかったか。米紙は「黒人差別撤廃に匹敵する歴史的判断」としている。
 宗教的な観点から中絶を拒絶してきたキリスト教右派ら反対派は判決を歓迎、逆にリベラルなど容認派は非難の声を上げ、各地でいがみ合った。地域的には、西海岸と北東部が中絶に賛成、中央部と南東部が反対という構図で、政治的には民主、共和両党が賛成、反対に二分された格好だ。米紙はこうした国の現状を「合衆国(the United States)」ならぬ「非合衆国(the Disunited States)非合衆国」と形容した。
 今回の判決を「自分の業績」として誇示しているのがトランプ前大統領だ。最高裁判事は9人構成だが、同氏が保守派の3人を指名し、保守派優位につなげ、今回の判決に持ち込んだからだ。同氏は選挙公約にも中絶容認反対を掲げ、キリスト教右派福音派からの支持拡大を図った。中絶問題を選挙に利用したと見られている。

 その最高裁だが、最近は中絶だけでなく、他の分野でも共和党寄りの保守色の強い判決を次々に下しているのが目立つ。公の場での銃携帯を制限したニューヨーク州の法律を違憲と判断し、温暖化対策をめぐる政府の権限を縮小する判決も出した。人種差別反対や性的マイノリティーの活動家らは最高裁の判断が少数派擁護の分野にも及ぶかもしれないと恐れている。
 最高裁の突出した動きに対し、本来三権分立の一角として信頼の象徴であるべき司法の独立が失われているのではないかと危惧する声も強い。最高裁の一連の判断は11月の中間選挙、24年の次期大統領選挙の争点になるのは確実だ。バイデン大統領は議会で中絶の権利を法制化する必要性を訴えているが、共和党は最高裁の判断を党勢拡大の好機としており、選挙に向けて対決色が激化するのは必至だろう。
 しかし、このままでは米国は実際に「非合衆国」に成り下がってしまう。分断の修復に向け、国民が冷静な判断と英知を示すよう求めたい。

事務局(小林)2022/06/28 23:17:14

Culture Shock(カルチャーショック)

2022年6月28日/執筆者:D. Woods(ダニエル・ウッズ)星槎大学准教授

I was urged to write a piece for the SEISA Journal, and the topic suggested was “Culture Shock Experienced in Japan.”   This is certainly a hot topic and seemingly of great interest.  However, after over 37 years living in Japan, there is little which shocks me these days.  

I do, however, still remember my first day in Japan, I recall being impressed by the abundant bright neon lights and the high-energy of Tokyo, both the city and its citizens.  But I was a bit disappointed by the absence of kimono-clad people. This disappointment was a result of my lack of current information and preconceived ideas of Japan. 

Most of the cultural differences I experienced in my early days made sense to me.  Things like, removing shoes when entering a home.  This seemed right and was something I already did back home in the US.    And most the other commonly stated “culture shocks” were not so shocking, in my opinion.

It’s important to know that culture shock can be positive or negative, and sometimes both at the same time.  Take for example the “drinking culture” in Japan. In Japanese companies drinking parties are common, but not so much in the West.  On the positive side, these activities build strong connections among the administration and staff. On the other hand, it can be a challenge to respect the boss when seeing some of their behavior after many drinks.  
Though many claim that the Japanese consume too much alcohol, it should be noted that these drinking events always include eating a variety of healthy dishes, which slows the intoxication. In the West, we rarely consume food at drinking parties.  And if we do, it’s usually somethings like potato chips or peanuts. 

Trains are another focus of “culture shock.”  This includes over-crowding and their amazing punctuality. While it was shocking, it was not unexpected. What did surprise me was the signs and color-coded seats to assure that elderly, ill or otherwise inconvenienced passengers get a seat – the so called “Priority Seats.” These signs are not necessary in the West.

Toilet trauma tops any Culture Shock list, and this goes for any country not just Japan. My first experience with the Japanese squat toilet was dreadful, dirty, and slightly dangerous. And there wasn’t even toilet paper in the stall. It felt like camping in the great Minnesota wilderness. Even more so, the recent Japanese Super Toilets certainly offer the uninitiated a good dose of Culture Shock. There are too many buttons and switches, and it is armed with what appears to be a squirt gun. These high-tech toilets can be daunting.  Regardless of whether it’s a high- or low-tech toilet, one thing does still shock me to this day.  That is when someone knocks on the toilet stall door…  Where I come from this means, hurry up and get out!  This is a very amazing fact.
Language is of course a hurdle and often a shock. Learning and failing is fun, and at times even dangerous. But the real shock shows up as one gains comprehension skills. I was shocked at what was said in a work environment. Perhaps this comes from one of the Japanese ideas of making the company a family and accordingly conversations had few filters.  Thankfully, the PC (politically correctness) movement has vastly reduced these types of conversations. 
There are many more thoughts which I can share, and will in another post, if there is any interest…
I’ll end with this “Culture Shock” is just another way of saying “Cultural Discovery.”

 星槎ジャーナルから日本でのカルチャーショックというテーマで原稿を依頼され、書いてみた。これは人気のある話題であり、興味深い問題でもある。だが、日本に住んで37年、今日私がショックを受けるようなことはほとんどない。
 初めて日本に降り立った日のことを今も鮮明に覚えている。東京の有り余るほどのネオンの光、都市と人々の煌々とした姿に胸が熱くなった。着物姿の人がいなかったのはちょっとがっかりしたが、これは私の日本に対する知識の足りなさと先入観のせいであった。
 日本に来たばかりのころ経験した多くの文化の違いは、私にとって意味のあるものに感じた。例えば、家に入る時に靴を脱ぐことは、米国に戻った時も行っている習慣で、合理的で良いものだ。多くの人がよく述べるような「カルチャーショック」は、ショックな出来事ではなかった。
 「カルチャーショック」が肯定的であろうと否定的であろうと、はたまた、その両方でもそれを知ることは大切だ。日本の「飲み文化」を例にとってみよう。日本の会社の飲み会は一般的だが、米国などでは違う。肯定的にみれば、飲み会は経営部とスタッフの間に強い関係を構築出来て良いものである。しかし、否定的にみれば、酔っぱらった上司の姿や行動を見たあと、日常で上司をリスペクトできるかという試練がある。
 日本人はお酒を飲みすぎだと、よく言われるが、飲み会では、いつも酔っ払いと化してしまうのを遅らせてくれるようなたくさんの健康的な料理を食べながら行われるのだ。米国では、飲み会で食べ物を食べることなど滅多になく、仮に食べるとしても、たいていはポテトチップスやピーナッツのようなものだ。
 「カルチャーショック」を覚えた1つは、電車だ。信じがたい混み具合や見事な時間どおりの運転などに、驚かされたが、予想外のものではなかった。驚いたのは高齢者や病気、何か不自由なものを抱えた乗客が席に座れるようにするための「優先席」のサインと色分けされたシートであった。これらのサインやシートは、米欧では必ずしも必要とされていない。
 カルチャーショックリストのトップとしてあげられるがトイレのトラウマである。さまざまな国で見られ、日本だけのことではない。私の初めての和式トイレの経験は、恐ろしく、汚く、少し危険なものだった。小さな個室の中にはトイレットペーパーさえなかった。それは、私の故郷であるミネソタの広い荒野でキャンプをしているようにも感じられた。
 最近の日本のスーパートイレも新しいたくさんのカルチャーショックをもたらすものだ。そこには多すぎるほどのボタンやスイッチがあり、水が飛び出る銃が装備されている。これらの高技術を持つトイレは威圧的に感じられる。また、技術が高いか低いかに関係なく驚かされることがある。それは私が個室に入っている時、誰かがドアをノックすることだ。その意味するところと思うのは「早く、出ろ」だ。これは、私にとってとても驚くべき事実だ。
 言語はもちろんハードルであり、ショックなことがある。学ぶことや失敗することは楽しく、時に危険だ。しかし、本当のショックは言語を理解するスキルを得たときに表れる。私は仕事の環境のことで、言われていることが分かった時、ショックだった。ひょっとするとそれは会社を1つの家族とみなす日本式の考え方の一種から来たものかもしれない。それゆえに会話はフィルターの役割を持たなかった。幸いにも、「ポリティカルコレクトネス」運動の広がりでこのような種類の会話は減少していった。
 私には多くの共有できる考えがあるが、いずれまた別の機会に書こうと思う。
 最後に、「カルチャーショック」は、「カルチャーディスカバリー」の単なる言い換えに過ぎないのではないかと感じていることを結びの言葉にしたいと思う。
(Translation by Kirino)


事務局(小林)2022/06/27 08:06:48

◎「ウクライナ戦争とメディア」
―インターネットが伝える戦争を考える―

2022年6月24日/執筆者:岡元 隆治(星槎大学大学院客員教授)

  2022年2月、ロシアがウクライナに侵攻した。ロシアがウクライナの国家主権を侵害したのは明らかで、これは戦争ではなく、国際法に反するロシアの国家犯罪と呼ぶべきだろう。ロシアは自国系住民の保護を口実にするが、いきなり隣国の首都を狙うとなると尋常でない。国連の常任理事国ロシアが、人口4000万を超えるウクライナに侵攻するのは、30年前のイラクのクウェート侵攻とはわけが違う。
 今のところ、プーチン大統領が何故こんな判断をしたのか、はっきりしない。過去の戦争と同様に、事後になって、いくつかの事実が明るみに出るだろうが、たぶん肝心の点の多くは、歴史の闇に葬られることになるだろう。しかしながら、現時点ではっきりしていることもある。それは、この戦争が、「スマートフォンとインターネットを抜きにしては語れない(最初の)戦争」として記憶されることだ。本稿では、ジャーナリズムの観点から、インターネットと戦争、そしてメディアの役割について考えてみたい。

「戦争とジャーナリズム」
 これまで戦争はどう伝えられてきたか?始まりはそう古い話ではない。第二次世界大戦の前、1930年代頃までは、戦争の記事は戦記と呼ばれる国威発揚のアピールか、戦争の英雄譚のような読み物が大半だった。やがて新聞の部数が増え、通信社が戦場取材を始め、有名なロバート・キャパのような戦場カメラマンも登場し、記事も時事的になっていった。背景には、迫力ある戦場写真が発行部数につながるという事情もあった。
 当時、ナチス政権などはメディアの重要性に気づき、巧みに利用したが、メディア側の意識は決して高くなかった。多くの国で報道の自由という概念は薄く、戦争報道とは自国軍の広報活動を意味していた。日本では大政翼賛という名目で、報道機関は政府の指揮下に置かれ、不都合な事実は国民には伏せられたままだった。このことは、マスコミの戦争責任と言われ、報道の自由やジャーナリズムの意味が問われた。
 第二次大戦後は、東西冷戦の一方で、旧植民地の独立紛争やイスラエル建国に伴う中東戦争など、歴史の清算のような戦争が相次いだ。その中で、ベトナム戦争では、西側メディアは米軍の広報機関ではなく、事実を伝える報道機関であることを表明した。日本人カメラマン沢田教一氏は、戦場の兵士ではなく逃げまどう母子の姿を通して、戦果ではなく、戦禍を伝え、ピュリッツアー賞を受賞した。
 こうした経緯から、ジャーナリズムは多くのことを学んだ。戦時下では、権力者と軍部は不都合な事実は隠し、メディアを利用して、しばしば民衆を欺くこと。戦争は究極の権力犯罪で、兵士の命を奪うだけでなく、敵味方を問わず人々の心を蝕むこと。そうした事態を防ぐためには、冷静かつ速やかな真実の報道が求められていること、などである。さて、ウクライナ戦争ではどうだろう。

「戦争とインターネット」
 今回の戦争に関して、インターネットが伝える内容は実に多彩で、従来型のニュースはその一部に過ぎない。多くは当事者からの報告の形で、砲撃を受けた市民からの映像、大統領や市長が発するメッセージ、更には個人的なSNSやYouTube、口コミと言ったものがネット上を飛び交っている。おそらく、かなりの確率で、フェイクニュース、誹謗、中傷、陰謀、ネット詐欺などが含まれているだろうが、だからネットは信用できない、などというつもりはない。
 問題は、ウクライナ戦争でインターネットはどこまでメディアとしての役割を果たしたか、だ。ここで言う「メディア」とは、「ジャーナリズム」または、一昔前なら「マスコミ」という意味だが、私は、かなり役割を果たしていると思っている。戦時下で、当事者からの映像と肉声が届く意味は大きいし、指導者が自分の口で戦況を伝えるのも、軍部の戦果の発表よりは信憑性が高そうだ。たとえ怪しい情報が含まれていても、多くの情報がある方が格段に良いに決まっている。
 しかし、引っかかるところも残る。今回の戦争で、私を含めて多くの人は、犠牲になった市民、中でも子供の映像に動揺して、ロシアに対する敵意が増していった。また、孤立した街から届く市民の生の声に心が揺さぶられるし、ウクライナ大統領のメッセージにエールを送ってしまう。ネットは、極めて短期間に、多くの感情的な敵意を生んでいく。これは怖い。
 かつては、多くの独裁者が情報を独占し、国民を扇動して敵意をあおった。これに対抗してメディアは真実を伝えた。そんな構図の中でインターネットはどこにいるのか。個人の情報発信を標榜してはいるが、その実態ははっきりしない。
 やがてこの戦争は決着がつき、その後に、幾つもの真実と偽りが出てくるだろう。多くは勝者の側に立った「真実」だが、その時点で私たちはインターネットの誤差や、作為、悪意などを検証しなくてはなるまい。そうした経験を経なければ、インターネットとジャーナリズムを語るのは、まだ早計というものだろう。

事務局(小林)2022/06/22 14:00:30

中国との共生―ロシアのウクライナ侵攻から考える-その④(最終回)

2022年6月20日/執筆者:大嶋 英一 教授(星槎大学大学院 教育学研究科メディア・ジャーナリズム研究コース) 

4. 中国との共生―日本の役割

我々に突きつけられた命題
 矛盾した対応をとる中国と共生していくために日本はどうしたらよいのであろうか?日中関係をマネージしていくためには、少なくとも以下の五つの前提の下で対策を練る必要がある。
前提一:現行国際秩序に挑戦するような中国の動きの増大(軍備の大幅拡張、尖閣諸島、東シナ海、南シナ海などでの行動、台湾への武力威嚇、香港民主化弾圧、新疆ウイグルでの重大な人権侵害等)
前提二:日本は米国に安全保障を依存しており、中国との関係では最前線に位置
前提三:米国は中国を『最も重要な戦略的競争相手』と認定
前提四:日中間の経済的相互依存関係は深化しており、しかも日本の対中依存度は中国の対日依存度よりもずっと大きい
前提五:両国民の相手国へのイメージが非常に悪い

抑止力と対話
 以上のような前提条件の下で中国と共生していくためには、抑止力と対話を共に強化することが必要である。具体的には5月の日米首脳会談やクアッド(日米豪印)でも表明されたように、日本の防衛力強化、米国のコミットメントの再確認、経済安全保障上の連携を図るとともに、力による秩序変更には明確に反対することなどが必要である。防衛力強化は前提一に、米国のコミットメント確認は前提二に関連している。経済安全保障の強化は前提四に関連しているが、これは中国との経済関係を絶つこと、いわゆるデカップリングではない。2019年の日本の全貿易量に占める中国の割合は21.3%もあり、仮にデカップリングを行えば日本経済は堪え難い打撃を受け、我々の生活にも大きな影響が及ぶことになる。重要なことは戦略的物資を中国に大きく依存しないようにすることである。
 また、中国に対する抑止力は高める必要があるが、それは中国と戦争をするためのものではなく中国と戦わないために増強するということ、つまり中国に対する交渉力を高める目的で抑止力を強めるとの視点が不可欠である。実際相互信頼の欠如した状況で軍事力増強を行うと軍拡競争になってしまい却って安全が脅かされるという安全保障のジレンマと呼ばれる現象が生じる。そのような観点からは、相互信頼感を醸成するために中国との対話・意思疎通が抑止力と共に非常に重要になってくることを忘れてはならない。

中国との意思疎通=対話
 米国は中国と厳しく対立しているにもかかわらず、首脳レベルにおいても閣僚レベルにおいても日本よりはるかに緊密に対話を行っている。日中間の対話を妨げている原因は日本側にも中国側にもある。日本側の原因としては、中国はけしからんことをやっているのだから対話すべきではないという意見が政治家を含めて強いことにある。中国側の要因としては、どうせ日本は米国の言いなりだから日本と対話を行っても意味がないとの考えが強いことにある。
 中国と対話するとして何を話すのか?もちろん日本が感じている中国の言動に対する懸念を伝達することは必要であるが、喧嘩ばかりしていたのでは対話は続かない。まず双方のパーセプションギャップを埋めることが必要であろう。中国は日本も欧州も米国の言いなりとのパーセプションを有しているが、各国それぞれの立場があることを説明することや、中国は自身が他国に与えている脅威を十分認識していないのでこれを丁寧に指摘することが重要である。同時に被害者意識の強い中国の話にも耳を傾け中国がどのような考え方をしているかを知ることも重要である。次に、国際関係に関する日中間の共通点から話を進めることが適当であろう。中国が国連憲章の目的や原則を擁護すると主張していることは、同じく国連憲章を遵守している日本にとっても国際社会にとっても歓迎すべきことである。しかし、中国はロシアのウクライナ侵攻に関しては明確な国連憲章違反にも関わらずロシアを非難するどころか米国を非難している。また、習近平が打ち出した人類運命共同体の理念は「共生的な世界」の構築を目指したものであるが、そのような理念から考えてロシアのウクライナ侵攻をどう捉えるのか?これらの部分を突いて中国の言行一致を求めることは有効だろう。第三に、以上を踏まえてグローバルな課題などについて中国と協働できるものについて議論する。北朝鮮の核・ミサイル問題、気候変動、国際経済、サイバーセキュリティーなど中国と協働できる課題は多々あるはずである。

米国との調整
 米国は同盟国であるが、日本と全てにおいて利害が一致するわけではない。万が一にも米中が軍事衝突した場合に一番の被害者は日本になるし、日本にとって重大なことでも米国にとってはさほどではないということもあり得る。過去において米国が日本の頭越しに中国と取引をしたことがあったし、トランプ大統領のようにアメリカ・ファーストの政策をとり、アジアの平和と安定における米国の役割を軽視するようなこともあった。したがって日米間の意思疎通も大変重要である。この点でバイデン政権はトランプ政権と異なり日本との意思疎通に積極的であり評価できる。他方で、バイデン政権は昨年12月に民主主義サミットを行なったように、中ロを念頭に民主主義国家と権威主義国家を色分けするような動きも示している。このような色分けは妥協の余地が小さく中国を排除することになり、米中間の緊張を一層高める結果をもたらす。その上民主主義国家の少ないアジアにおいては広い支持も得られないから、日本としては米国があまり性急にことを運ばないように働きかけるべきであろう。
 今後の米中関係および日中関係で最も困難な問題はおそらく台湾をめぐる問題であろう。強い中国を目指す習近平は元々民族主義的傾向の強い指導者であり、自身の目の黒いうちに台湾を統一したいとの願望を有していることは間違いない。このままでは衝突は不可避と思われるかもしれない。しかし、台湾問題は50年前の米中接近や日中国交正常化の際も最大の難関であったことを忘れてはならない。当時の指導者はそれを乗り越えて国交正常化を実現したのである。日本としてはあらゆる可能性を想定して対策を講じなくてはならないが、同時に英知を結集して台湾海峡で武力衝突が起きないよう米中台それぞれに働きかけをしていくことが必要であろう。
 なお、当然のことながら日本が対中国において米国の先兵のような活動をすべきではない。米国に将来再びトランプのような指導者が現れる可能性もあることを考えればなおさらである。

結論:中国との共生
 以上をまとめれば、中国との共生を実現するためには、抑止力を強化するとともに対話を拡大強化し、最低限の信頼関係を築くことである。抑止と対話は車の両輪であり、一方だけでは逆効果になるので、必ず両方を並行して行う必要がある。抑止力の強化は戦争に備えるためではなく戦争を防ぐためのものであり交渉力を高めるためのものである。現在の日本では抑止力の強化ばかりが強調され、対話の重要性が軽視される傾向があるので是正しなければならない。中国との対話では、中国の懸念すべき言動の指摘のみならず、互いのパーセプションギャップの解消、共生的世界の構築、およびグローバルな課題に関する協働の可能性などについて話し合うことが重要である。

事務局(小林)2022/06/22 13:38:19

中国との共生―ロシアのウクライナ侵攻から考える-その③

2022年6月20日/執筆者:大嶋 英一 教授(星槎大学大学院 教育学研究科メディア・ジャーナリズム研究コース)

3. ロシアのウクライナ侵攻―中国の矛盾に満ちた対応

中国の公式立場
 ロシアのウクライナ侵攻後中国はロシアを非難しなかった。ロシアの侵攻を非難する国連総会決議にも中国は棄権した。
 習近平は、3月8日に行われた独仏首脳とのオンライン会談で、ロシアのウクライナ侵攻に関し次の通り中国の立場を表明した。
(1) 主権と領土保全は尊重されるべし
(2) 国連憲章の目的と原則は遵守されるべし
(3) 各国の安全保障上の合理的懸念は重視されるべし
(4) 危機の平和的解決に役立つあらゆる努力は支持されるべし

 ロシアのウクライナ侵攻は、ウクライナの主権と領土に対する重大な侵害であり、国際の平和と安全および武力不行使を定めた国連憲章に明白に反する行為であるので、(1)と(2)は中国がロシアを支持しないことを示している。これに対し(3)の趣旨は、ロシアの安全保障上の懸念(NATOの東方拡大など)は重視されるべきであるということなのでロシアへの配慮を示している。(4)の和平努力への支持については、中国はウクライナから再三要請されているにも関わらず表立って仲介の労を取ろうとしていない。
 以上総じて言えば、ロシアのウクライナ侵略という原則違反に対し中国の対応は著しく弱いものと言えよう。しかし、以下に見るように中国の本音はさらに驚くべきものである。

中国の教員研修用資料
 ロシアのウクライナ侵攻を中国の学校ではどのように教えているのだろうか?この問題に関する中国の教員研修用の資料が3月末の香港紙に掲載された。「なぜロシアはウクライナに出兵したのか」と題する資料には、次のようなことが書かれている。
(1) ウクライナの政治は腐敗し、党派が乱立し、経済は疲弊し、民族は分裂しており、過去8年間に政府軍やナチス分子は東部で1万4千人のロシア人を殺害、2014年の後も一連の非理性的対外政策をとり、ロシアを恨み、大量破壊兵器の製造に着手し、NATOに加入しようとした。
(2) NATOの5回の東方拡大が、ロシアの戦略的空間を狭め、ロシアを追い詰めた。
(3) 米国はロシア・ウクライナの悲劇の仕掛け人である。ウクライナに27億ドルの軍事支援を行い、ロシアとウクライナの対立をあおり、矛盾を激化させた。米国はロシアを挑発して戦争を起こさせ、…、欧州とロシアを離間させ、欧州を支配して、漁夫の利を得ている。(以下略)

 (1)のウクライナに関する記述は、ロシアの主張そのものである。(2)は、NATO(北大西洋条約機構)の拡大がロシアを追い詰めたのだとしてロシアに同情的である。(3)は、米国がこの戦争の仕掛け人で最大の責任者だとしている。米国はロシアが侵攻する3ヶ月ほど前からウクライナ周辺に展開するロシア軍の情報などを中国に提供して、ロシアがウクライナに侵攻しないよう中国からも説得するように働きかけたという。それにもかかわらず、全面侵攻した張本人であるロシアの責任については不問に付し米国に責任を押し付ける中国の論理には驚きを禁じ得ない。中国国内でこのような教育が行われていることに対し背筋の凍る思いがする。

プーチンの行動を「尊重」した習近平
 ロシアがウクライナに侵攻した翌日の2月25日に習近平はプーチン大統領と電話で協議を行った。北京にあるロシア大使館のウェブサイトによれば、この電話協議で習近平は「ロシアの指導者(つまりプーチン)が現在の危機的状況でとった行動を尊重する」と述べたとしている。尊重するというのは支持するとまでは言えないとしても、少なくとも反対はしないという意味である。この習近平の発言がその後の中国の対応の手足を縛ったと言えるだろう。また、主権や領土保全の尊重や国連憲章の原則の遵守といった中国の主張がいかに空疎なものであるかを最高指導者自らが示してしまったという点で深刻である。

中国がロシアを擁護する理由
 中国はなぜ原理原則に反してまでロシアを擁護するのだろうか?そこには外交上の問題だけではなく内政問題も含め以下のような要因が絡んでいると思われる。
 第一に、中国にとりロシアは大国の中で唯一の友好国であり、ロシアを敵に回したくないこと
 第二に、仮に中国がロシアを非難しても、米国が中国を「唯一の競争者」として対抗する構図に変化はなく、中国は米ロ双方を敵に回すことになること
 第三に、ロシアのウクライナ侵攻で米国が欧州に釘付けになれば、中国への圧力が軽減され中国にとりプラスになること
 第四に、習近平はロシアとの協調を軸として米国主導の国際秩序を変えようとしてきたが、ロシアを非難すればその目論見が水泡に帰すのみならず、外交政策の失敗を追及される恐れがあること(内政上の要因)

 以上いずれの要因も、対米関係に関わりがある。要するに中国にとってはウクライナの主権や領土保全といった原則問題よりも、中国の対米関係に有利かどうかが判断基準となっているとみられるのである。

その④に続く・・
事務局(小林)2022/06/20 09:45:21

中国との共生―ロシアのウクライナ侵攻から考える-その②

2022年6月20日/執筆者:大嶋 英一 教授(星槎大学大学院 教育学研究科メディア・ジャーナリズム研究コース)

2. 中国の目指す国際社会―人類運命共同体
  その1でウクライナ戦争後の国際秩序は中国の動向に大きく左右されるのではないかと述べたが、それでは中国が目指す国際社会とはどのようなものなのであろうか?

中国が気に入らない現行国際秩序
 中国は様々な機会に、現在の国際秩序に異を唱えている。覇権主義、同盟による対立・冷戦思考、小グループ(=西側先進国)のルールの強制、保護主義や例外主義、ダブルスタンダード、イデオロギーによる線引き、一方的制裁などに対する批判である。要するに米国主導の現在の国際秩序に反発しているのである。中国には、米国は中国の発展を邪魔しようとしているとの被害者意識が強くあり、そのような視点から国際情勢を見る傾向が顕著である。

中国は国際秩序の擁護者?
 中国は従来「国際秩序と国際システムをより公正で理にかなった方向に発展するよう推進していく」と主張してきたが、習近平国家主席は2015年の国連演説で「中国は国際秩序の擁護者である」と述べ、その後も同様の発言を繰り返している。中国は従来の立場を変えたのであろうか?どうもそうではないようである。中国の元外交官で論客の傅瑩氏は、中国が擁護する国際秩序と米国が主導する「世界秩序」とは異なるのだと述べている。彼女によれば、米国が主導する世界秩序は、西側の価値観・米国中心の軍事同盟・国連を含む国際機関という三つの要素から成り立っているが、中国が擁護するのは三つ目の国連を含む国際機関のところだけで、西側の価値観や軍事同盟ではないと述べている。

実際習近平も国連で、中国が擁護する国際秩序とは、
 (1) 国連を核心とする国際システム
 (2) 国際法を基礎とする国際秩序
 (3) 国連憲章の目的と原則を核心とする国際関係の基本準則
と国連中心主義とも言える発言をしている。要するに中国が擁護する国際秩序とは、米国が事実上主導している現行の国際秩序そのものではないのである。

人類運命共同体
 習近平は、国際社会のあるべき姿として以下のような人類運命共同体の構築を提案している。
(1) 政治面では、対話と協議を重視して恒久平和の世界を築く
(2) 安全保障面では、各国が協働することで、普遍的に安全な世界を構築する
(3) 経済面では、ウィンウィンの協力を重視し、共に繁栄する世界を建設する
(4) 文化面では、交流を深め開放的で包容力のある世界を建設する
(5) 環境面では、グリーン・低炭素を重視し、クリーンで美しい世界を建設する
 要するに、政治・安保・経済・文化・環境の各方面において、共生的な世界を築こうということである。

グローバルガバナンスの改革
 それでは中国は人類運命共同体の構築のために実際にどのようなことをやっているだろうか?中国は主として以下の二つに力を入れている。
 第一に、中国は軍事同盟にかわってパートナーシップという敵味方を分けない国家間の緩やかな連携を提唱している。実際中ロ間では「全面戦略協作パートナーシップ」という連携が結ばれており、日中間でも「戦略的互恵関係」とよばれる パートナーシップ関係が2008年に樹立されている。 
 第二に、中国はグローバルガバナンスの改革を推進している。グローバルガバナンスとは、一国だけでは解決できない国際間の共通課題、例えば気候変動、国際金融、感染症などの問題に多国間で取り組むことを言う。国連などの国際機関はそのために作られたものであり、中国がまずやっていることは国際機関のトップに中国人を送り込むことである。また、世界経済に関しては、従来のG7にかわって、中国やロシアなどの新興経済国も入ったG20を中心に政策協調をすべきであると主張している。さらに、一帯一路構想のような中国主導の新たな枠組みの提唱や、中国とロシアが主導している国際機関であるBRICS(ブラジル・露・印・中・南ア)や上海協力機構(中・露・中央アジア諸国・印・パキスタン)などの強化拡大を図って、米国主導の国際秩序を変えようとしている。その際中国が重視しているのがロシアとの協調である。

その③に続く・・

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