創設の想い今から43年前、横浜は鶴ヶ峰駅を出発した星槎号は、北から南まで子供達のために日夜走りつづけています。
1972年、私は私立高校の教員をしながら塾を始めました。当時、学校は学校、塾は塾。教育現場も行政もすべてが縦割り。また大人の勝手な都合で、あらゆる場面で差別が行われ、そこには主役であるはずの子どもの姿が見えない。だから「学校らしくない学校」を創ろうと決めていました。

1985年宮澤学園(現 星槎学園)がスタート。生徒の中には、不登校の子・身体にハンディキャップのある子・自閉的な子・LD (学習障害)の子もいます。でも、そこにはイジメもなく差別もなく、お互いがお互いの得意不得意を理解し、助け合っています。英語とか数学とか、教科は一つの道具。学校は思想の伝達の場所。そのために私たちはたくさんの引き出しを持って、子どもたちと向き合っています。「公平」という名の画一的な教育はナンセンスです。子どもの数だけ個性が存在するのです。私たちは、行政が見落としている(もしかしたら見て見ぬふりをしている)場面に、子どもたちの居場所を創り続けていきます。
創設者 宮澤 保夫