「語り」の力と「沈黙」のある学習を組み合わせることで人権教育の新たな一面を引き出す
神山直子 さん
教育学研究科博士後期課程修了生(2023年9月修了)・修士課程修了生(2015年9月修了)/社会福祉法人理事長/東京都
小学校の教員や教育委員会の指導主事の経験を積む過程において、教育実践をより確固たるものにするには、理論的な裏付けが必要であると感じていました。そこで、一念発起し、日々の業務にとらわれることなく、研究の視点から学びを深めるために星槎大学大学院教育学研究科教育学専攻修士課程への入学を決意しました。2013年10月第1期生(秋入学)として学びを開始し、2年後に修士の学位を取得することができました。
その後、2020年4月に博士後期課程が始まることを知りました。大学院での学びを再開すれば、人権教育を通して知己を得た「国立療養所多磨全生園」の平沢保治氏と交わした約束「平沢さんが書き溜めた文章を書籍化する」を果たし、これまで取り組んできた人権教育を総括できるのではないかと考えました。ただし、以前と異なるのは、両親の介護が始まっていたことです。それでも、修士課程での成功体験を基に、通信制なら仕事、研究、介護、これらを同時に成し遂げることができるはず…と挑戦を始めました。
まず「国立療養所多磨全生園」の平沢保治氏との出会いとその後の関係性、各学校で行われている人権教育の実際、全国にある療養所への訪問を通して得られた知見など、今日に至るまでの私の実践や経験を言語化し、担当してくださる今津孝次郎教授(職名は当時)と協議を行いました。その後、教授から提示される課題に答えることが、これまでの研究実践を振り返ることに繋がり、博士後期課程において研究を進めるための課題が明らかになっていきました。
また、学会で発表すること、学会誌等への査読付きの論文の投稿することは、私にとって初めての経験でした。いずれも博士論文の審査を受けるための要件となりますが、一つひとつの発表や論文執筆が、博士論文の内容をより豊かにするために必要なことばかりです。特に、論文審査において多様な角度から受ける厳しい指摘は、教員として他の人に指導することばかりに慣れ切っていた私の思考や姿勢に、大きな衝撃を与えてくれました。実践者から研究者へと変革を遂げるには、どれも乗り越えなければならない試練です。
研究内容として中核を為すものとして、「語り部」の「語り」の持つ力が挙げられます。さらに研究の過程において新たに着目したのが「沈黙」のある学習です。「語り」と「沈黙」は相反するように見えるかもしれませんが、「語り部」の「語り」の力と「沈黙」のある学習を組み合わせることにより、人権教育の新たな一面を引き出すことができるものと考えたのです。
これまでの人権教育はともすれば「知育」に流れやすく、「偏見や差別を許さない」「思いやりを大切にしよう」といった誰もが正しいと考え、どの実践にも当てはまる発言や感想の交流に終始する傾向があります。このような学習から脱却し、当事者の声を介した「語り」を通して生み出された学習者一人ひとりの「沈黙」に着目しました。「沈黙」の集積によって創り出された「価値ある静寂」の中で、「情動面」にまでに深く関わる「ことば以前」の変容を促すことを重視しています。
小中学校の先生方に「語り」を教材として捉える必要性を伝えています
現在は、大学の教職課程の授業を担当する傍ら小中学校を訪問し、人権教育の実践を通して先生方を支援しています。例えば、ハンセン病は、現代の新型コロナウイルス感染症にまつわる偏見・差別に通じる現在進行形の問題であることを伝え、正しい理解と認識が持てるよう情報提供を行っています。学校で人権の講師を招聘する場合には、博士論文に掲載したデータを根拠として示し、「語り部」なら誰もが偏見や差別の問題だけを訴えているわけではないことを説明しています。「語り」を教材として捉える必要性、つまり教材研究の重要性を改めて説いているところです。
また、2023年6月から、縁あって多磨全生園内にある「花さき保育園」を経営する社会福祉法人の理事長となりました。全生園の自然豊かな環境の下、子どもたちの笑顔に包まれる毎日を送っています。近接している「国立ハンセン病資料館」との連携を図り、この地で学び育った子どもたちが、地域社会における人権の担い手となることを目指しています。