他者のために学びを通じて自らが成長する


森 あやこさん(教育学研究科在学生/日本語教師/ロシア)


 私が日本語教育に興味を持ったきっかけは、以前、学習塾に勤めていたとき、外国人の生徒に「国語」を教えるのに四苦八苦したことです。それで、日本語教師養成講座に通いました。海外で教えることは全く考えていなかったのですが、この養成講座にロシアの大学から求人があり、「海外で教えるのもよい経験になるから」と勧められ、やってみることにしました。当初は1~2年で帰国するつもりだったのですが、周りの人たちに恵まれ、「もう少しここで…」と思っているうちに20年が経ちました。

 当地で日本語教師として毎日忙しく過ごしていて、「このままでいいのだろうか」という不安や疑問を感じることがありました。自分の中に何かが不足している感じです。教師は自分自身の心や頭の「引き出し」から必要なものを取り出して使うことが多いと思うのですが、出してばかりではそのうち「引き出し」の中が空っぽになってしまいます。自分の中に何かを取り入れたい気持ちになりました。また、学生が一生懸命学んでいる姿や同僚の教師が修士課程で学んでいる様子を見ていて、学ぶことはやっぱりいいなと思いました。時間的にも体力的にもちょっと大変なのですが、こちらでは研修や学びの機会もあまりないので、思い切って大学院へ入学することにしました。


 現在、勤めている大学でいろいろな問題が起きています。社会が急激に大きく変わった影響や、教育現場を知らない経営側の効率主義が原因の問題もありそうです。教師の自己研鑽や人材育成に関わる問題もあります。このような問題について同僚教師と話して、実は勤めている大学だけの問題ではなく、教育改革の結果としてのロシアの高等教育全体の問題だと気がつきました。そこで、ロシア人教育関係者は自国の問題についてどのようにとらえているのか、調べてみたいと思いました。そして、今、そういったことを修士論文として取り組んでいます。

 星槎は「共生」を大切にしており、大学院でも共生教育について学びを深めてきました。ロシアはもともと多民族国家で民族や宗教の違いがあり、多様性は認められやすいような気がします。同化を強要したり干渉したりしなければ、争い事もありません。これはこれでお互いに存在しあえるひとつの在り方ではないかとも思っていました。しかし共生について深く考えていく中で、この状態は相手に対して無関心になりがちという意味で、「共存」ではあるけれど「共生」ではないのではないかと思うようになりました。「共生」というのは、お互いに交流・影響しあいながら、お互いに成長していくことができる状態なのではないかと。大学院での学修を通じてそんなことを考えるようになりました。


 星槎の先生方の講義は奥が深く、様々なことを考えさせられました。学んだ内容だけではなく学ぶことそのものも意味を持つと私は考えています。学ぶという行動をやめてしまっては人としての成長が止まってしまうのではないかなと。自分の成長のためにできる限り機会をとらえ、学んでいくことが大事なのではないかと思っています。さらに、学ぶと人はそこから考えを深めていくと思うのです。そうして自分自身を深めて成長していくことで、人は他者のために何かすることができるようになるのだと考えています。

 「日本に最も近いヨーロッパ」と言われている当地ですが、横浜に行けるのは2年間でたった4回程度。そのため、同じ大学院生の方たちとは一期一会に近いのですが、よい刺激を受けています。みなさんも何とか時間のやりくりをして学修をしているということがわかると、私も言い訳できないなと思ったり、仕事や学修に本当に真摯に向き合っているんだなと感じたりします。そういった仲間との出会いはとても貴重で、大学院に入学して本当によかったなと思っています。