「当たり前」に問いを向けて、深い学びを実現させる


佛圓 弘修さん(教育学研究科修了生/大学教員/広島県)


 小学校の頃の恩師に憧れて教員になりたいと漠然と思っていました。大学は教員養成課程がないところにいったので教員免許は持っていませんでした。しかし、学校で事務職員として働いていたときに、やはり子どもと日々接する仕事がしたいと思うようになり、改めて教員免許を取れる通信制大学に入って取得しました。

 38年間の小学校教員生活の中で、外国にルーツをもつ生徒が6割いる学校に10年間勤めました。その時に、児童がそれぞれいろいろな背景をもっているので、多文化共生の考え方が必要だと日々感じていました。しかしながら一方で、同じ日本人も様々な背景を持っているので、日本人同士も実は多文化であり、ともに生きていくという観点を持つことが必要だという課題意識を持ちました。以来、定年退職するまで実践してきた私なりの共生教育について整理がしたいと思い、星槎大学大学院への入学を考えました。


 研究指導を担当してくださった先生の「引き掻き回し指導」は衝撃的でした。学生が当たり前のこととして言っていることを先生は目ざとく見つけて、「それどうなの?」と切り返す。例えば、文科省のいう生きる力や社会科の目標である公民的資質の育成など、学習指導要領でそのように示されているからその方針を当然のものとして捉えていましたが、先生には「生きる力とは何か。なぜそれが必要なのか」と問いかけられました。こういった問いを考える過程を通じて、学んでいる対象そのものに関する学びを深めることができ、問いをもって多面的・多角的に深く考え直すという学び方自体を学ぶことができました。引き掻き回されることによって、ゼミ生仲間と共に学び合うことも促進されたようにと思います。

 当然ながら、修士論文も何度も軌道修正を迫られました。川口プランにもともと着目していたのですが、戦後の画期的なプランは他にいくつもあります。「川口プランより本郷プランでは?」「なんで社会科カリキュラムではなくローカルカリキュラムなのですか?」など。「こんなの意味ないよ」と直截的に言われたり。どうしてそんなことを言われるのだろうと思ったときもありましたが、切り返されることによってより探究しようと視野を広げたり、洞察力を磨いたりすることができました。結果として、重要で価値があると自分が思っていることを明らかにすることにつながったので、こういったプロセスは必要だったのだと振り返って思います。そして、何より先生にゆさぶられる学びがこの上なく楽しく、やりがいにつながったからこそ、働きながら2年間学修を続けられたのだと思います。


 現在は私は大学教員として教員養成に携わっていますが、伝授していただいた「引き掻き回し指導」を忠実に伝承しています。学生の当たり前を再構築させながら、4月から実施される小学校学習指導要領をともに読み開き、それを超えて「ヒロシマと日本と世界を串刺しにして捉えるような社会認識」を培うローカルカリキュラムをともに切り開いています。大学院で鍛えていただいた心と技を伝承できる先生を一人でも多く世の中に送り出したいと思っています。