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2024.02.09

「特別連載」◎コロナ禍後のいま〜アフリカ・コンゴ盆地の野生生物と先住民族 第4回 先住民族が先住民族でなくなる日

執筆:星槎大学教授 西原智昭

 「おい、待てよ。前方の藪の中にマルミミゾウがいる」と、筆者の後方を歩いていた森をよく知る年輩の先住民族ピグミーが筆者に語りかけた。野生ゴリラを追跡しているときで、まさに20m先前方にゴリラを一頭発見したときだった。
 「ゴリラはいるけど、万が一の事故を回避するためにも前に進むべきではない」とも進言する。ところが、筆者の前方を行く若手ピグミーの2人は筆者にゴリラを間近に見せたいのかズンズン前に歩みを早める。もし、藪に潜むマルミミゾウと鉢合わせたらびっくりしたマルミミゾウがこちらに突進しかねない。
 そうした事故は稀に起こる。場合によっては、象牙で体を突かれたり、最悪の場合、ゾウに踏み潰されて死亡したりするケースもある。

 ピグミーはもともとアフリカコンゴ盆地の熱帯林に依拠し、つい30年前まではそこで貨幣経済や学校などとは無縁の狩猟採集生活を営んでいた。その代わり、危険を回避しながら森を安全に歩く、迷わずに歩く、動物を追跡する、食用キノコや食用薬用植物を分別するなど、伝統的な知恵や技能に優れていた。ところが、ある時期から森林開発を優先する国策のために彼らは森林から追い出され、森林縁辺部の農耕民集落近辺に住まざるを得ない状況となった。それでも毎日遠くにある森林まで歩きなんとか生活の糧を得て、辛うじてそうした伝統知は継承されてきた。しかし、若い世代の間で次第にそれが喪失されつつある様相が見られるようになった。

 そうした傾向を一層強めてきた原因は学校教育にある。先住民の子供が通学することになったからである。それが彼らのライフスタイルの変貌をもたらしたといえる。これまで、支配民族から差別を受けてきた先住民は、学校でも差別を受け、いじめられるばかりでなく、何より学校が忙しく、もはや森に行く時間がない。そのため両親や年輩から森の「伝統知」を学ぶ場がなくなってきた。しかも学校教育は公用語の仏語で行われるため、近い将来、教育政策次第では彼ら独自の言語が失われる危険性すらある。

 目の前のゴリラに気付くのは外部の人間である筆者らでも分かる。しかし、かすかな音や匂いなどの気配から森の薮の中に動物が潜んでいることを感知する繊細なスキルが、いまの若い世代のピグミーではまさに失われてきているのだということを目の辺りにした瞬間であった。「伝統知」の継承と学校教育の共存は可能なのであろうか。先住民族が言語と「伝統知」を失えば、先住民族が先住民族でなくなる日も遠くない。われわれは森を安全に歩くこともかなわないため、野生動物の研究調査だけでなく、ゴリラを追跡するエコツアーすら実現できなくなるのだ。密林の中、密猟者を効率的に追跡・逮捕に至ることも難しくなる。
 森林保全の重要性を強調するのであれば、先住民族が従来の森の「伝統知」を喪失することがいかに大きな打撃であるかが分かる。森林保全には先住民族が時代とともに変わりつつも代わることがない「本質」部分が継承される先住民族であり続けることが求められる。先住民族ピグミーの優秀な伝統的な知恵や技能、そして言語を継承する教育がもっと議論されるべきだろう。